慶応・森林貴彦監督(50)が、うれし涙をこぼした。「エンジョイベースボール」を掲げた「森林野球」が、全国の頂点に立った。大好きな野球を仕事に選び、豊富な経験と知識を積み重ねて、選手たちとともに高校野球の改革を突き進んできた。その第1幕が最高の形で幕を閉じた。

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優勝監督インタビューのお立ち台を前に、森林監督の目から涙があふれた。「日本一を実現できた。選手たちの頑張りがすごくてすばらしい成長でした」。急に降り出した雨で胴上げはできなかったが、どんなにつらい時も涙を見せない男が、神奈川大会優勝に続き2度目のうれし涙を見せた。

高校ではなく、慶応幼稚舎(小学校)3年K組の担任を務める。三塁側アルプスからは「もりば~頑張れ~」と制服姿の子どもたちの声援が飛んだ。生徒からは「もりば」と呼ばれる。「両方見るのは他の人にはできないメリット。小学生を見てから高校生を見ると立派な部分を感じる」と指導にも生かしている。

自由な髪形などがクローズアップされがちだが、目指すのは勝利と成長。「監督」ではなく「森林さん」と呼ばせ、選手と同じ目線で人間関係を築く。「自分が考え、決める余地があるとか。今までの高校野球の常識から少し違う」。慶大卒業後はNTTに就職。だが野球への思いを断ち切れず3年で退社。安定した生活を捨て自ら切り開いた人生経験が理念の下地にある。

理想の指導者像はない。「いいところを取り入れたい」。恩師、上田前監督からは自主制と指導の基礎を学んだ。筑波大大学院では他種目の選手たちとも技術論を深めた。コーチに初就任したつくば秀英(茨城)では当時の監督で札幌国際大スポーツ人間学部の阿井英二郎教授(58)の下で対話の大切さを学び、慶大の堀井哲也監督(61)には積極的に助言を仰いだ。

豊富な経験と知識と柔軟性で「森林スタイル」を構築した。「全国の舞台で、昨年優勝の仙台育英さんという最高の相手を前にして、自分たちの野球ができた。今後、高校野球における多様性、個性などが認められるようになればいいですね」。この夏、森林野球が高校野球界に大きな風を巻き起こした。【保坂淑子】

◆慶応 1858年(安政5)に創設された蘭学塾が前身の私立の男子校。高等学校は新制高校として1948年(昭23)に開設された。生徒数は2180人、野球部は1888年(明21)に創部で部員数は107人。甲子園出場は春10度、夏は19度目。主な卒業生は楽天津留崎大成、ソフトバンク柳町達、ヤクルト木沢尚文。所在地は神奈川県横浜市港北区日吉4の1の2。阿久沢武史校長。