慶応・清原勝児内野手(2年)は、親子で日本一を達成した。「全員で勝てた試合。メンバーだけじゃなくて、慶応の力が合わさって優勝できた。みんなに感謝です」。9回には代打で出場。「代打清原」のアナウンスで聖地は沸いた。結果は四球だったが「すごい歓声をいただいて、幸せだなと感じました。打ちたい気持ちはあったけど、四球でも貢献できる。高校野球の集大成の試合で、初球から振れたし、ボールを見極められたのでよかったと思います」。表情はすがすがしかった。

「清原」の名前に苦しんだこともあった。今大会、全試合観戦に訪れた父和博氏(56)は、甲子園で通算13本塁打を放ち、プロでも525本塁打の記録を持つ、偉大な選手。昨秋、試合に出始めるようになると、周囲からは父のような活躍を期待され、重圧を感じた。でもそんなとき、母亜希さん(54)は「死にはしないから、どーんとやってこい」。悩んでいた自分にとってとても大きく、救われる言葉だった。

この日は兄正吾さんの21才の誕生日、朝は言葉で祝福したが、「甲子園優勝」という最高のプレゼントも贈ることが出来た。大会期間中は父からも毎試合メッセージをもらい「励みになっている」と頑張る糧だった。

わずかな単位不足で1年生を2度経験したため、2年ながら高校野球の公式戦に出られるのは最後。「苦しいことばかりの3年間だったけど、仲間が支えてくれてやりきれた。支えてくれた皆さんに今回で少しは恩返しできたかなと思う」。最後の夏は、最高の形で幕を閉じた。【星夏穂】

▽清原和博氏の話 おめでとうございます。力としては仙台育英が上ではないかと分析していたのですが、初回から慶応の応援団がものすごく、さすがの仙台育英も押され気味でした。仙台育英には守るべきものがあり、慶応は青コーナー、チャレンジャーとして精神的には優位だったのかもしれません。長髪、自由なエンジョイ野球の優勝で、僕自身にとっても野球観が変わる思いがしました。これからは長髪のチームも増えるでしょうね。(次男の)勝児は優勝の喜びも、またスタメンで出られなかった悔しさもあるでしょう。まだ野球人生は終わっていないし、しばらく、ゆっくりと高校生らしい生活を送った後、どこかで線を引いて、次の目標に向かってほしい。私の息子であり注目され、試合に出なくても取材を毎回受けるなど苦しさもあったと思います。しかし、きちんと対応して立派に育ってくれたなと感じました。褒めてあげたいです。

◆慶応 1858年(安政5)に創設された蘭学塾が前身の私立の男子校。高等学校は新制高校として1948年(昭23)に開設された。生徒数は2180人、野球部は1888年(明21)に創部で部員数は107人。甲子園出場は春10度、夏は19度目。主な卒業生は楽天津留崎大成、ソフトバンク柳町達、ヤクルト木沢尚文。所在地は神奈川県横浜市港北区日吉4の1の2。阿久沢武史校長。