<高校野球岐阜大会:大垣日大7-4市岐阜商>◇26日◇決勝◇長良川

 69歳の大ベテラン阪口慶三監督率いる大垣日大が市岐阜商を下し、6年ぶり2度目となる夏の甲子園出場を決めた。4-4の6回に、2番手で登板していた1年生左腕の橋本侑樹投手が勝ち越しの2点適時打を放った。橋本は3回1/3を無安打に封じる完璧リリーフ。名将の抜てきに、孫の代に当たる年の離れた選手たちが呼応し、甲子園切符をもぎ取った。

 大垣日大を率いる69歳の大ベテラン阪口監督が“孫たち”に泣かされた。6年ぶりの夏の岐阜大会制覇。前回甲子園に出場したのが11年春。その大会直後に入学したのが現3年生たちだ。甲子園を知らない世代が長男なら、次男は先発し踏ん張った高田ら2年生。そして、一番頼りになったのが怖いもの知らずの“末っ子”1年生の橋本だった。試合前、独特の話術でモチベーションを高め「選手を踊らせる」と予告していた阪口監督は、5度宙に舞うと涙声で「本当に、最高に踊ってくれました!」と感謝した。

 継投が勝敗を分けた。大垣日大、市岐阜商とも背番号1はベンチスタート。大会中に成長した2番手が先発した。市岐阜商は先発が1回持たず降板。一方、阪口監督は4-4の6回2死二塁まで先発高田を引っ張り、2番手橋本を投入。その橋本がピンチをピシャリと封じ、その裏に「自分で決めてやろうと思っていました」とV打。7回以降も1人も走者を許さない完璧な投球。投打で主役になった。

 思えば、前任の愛知・東邦時代、77年夏の甲子園で準優勝した時に大活躍した「バンビ」こと坂本佳一投手も当時1年生だった。あれから30年以上たつ。11年に頸椎(けいつい)と腰の手術を受け体調面に不安は残るが、勝負勘と選手を見抜く眼力は変わらず確かだ。切り札の橋本は「入学した時はコントロールが悪かったんですが、阪口先生からテークバックを小さくしたら良くなると言われてその通りでした。球も速くなった気がします」と感謝する。下馬評は決して高くなかったが“阪口マジック”で頂点に立った。

 次は悲願の夏の日本一が目標になる。「甲子園に出る以上『全国制覇』という権利はある。勝負してきます」。大ベテランの戦う気持ちは、今もなお燃えさかっている。【八反誠】

 ◆橋本侑樹(はしもと・ゆうき)1998年(平10)1月8日、京都府生まれ。滋賀・高浜中時代は硬式「若狭高浜ボーイズ」で投手として活躍。大垣日大入学後、1年春からベンチ入り。投打両面で非凡なセンスを発揮。好きな投手はロッテの左腕成瀬。177センチ、70キロ。左投げ左打ち。

 ◆大垣日大

 1963年(昭38)創立の私立校。野球部も同年創部。部員数は44人。愛知の強豪・東邦を率いていた阪口監督が05年に就任。春3度、夏は2度目の甲子園出場。春夏通じ初出場だった07年春に準優勝。主なOBは元阪神曽我部直樹、バルセロナ五輪柔道男子銅メダリストの岡田弘隆。所在地は大垣市林町6の5。古田健二校長。◆Vへの足跡◆2回戦10-0恵那南3回戦8-1中津4回戦10-3岐阜各務野準々決勝5-1帝京大可児準決勝5-1県岐阜商決勝7-4市岐阜商