<全国高校野球選手権:前橋育英4-3延岡学園>◇22日◇決勝

 前橋育英(群馬)の高橋光成(こうな)投手(2年)が、夏の甲子園の頂点に立った。9回134球を投げ、6安打5奪三振3失点で完投。4回に失点し、準決勝まで続けた自責点0は、44イニングで途切れたが延岡学園(宮崎)を破り、初出場初優勝を飾った。群馬県勢の優勝は、99年の桐生第一以来、14年ぶり2度目。高橋光は18歳以下の日本代表にも選出され、桐光学園(神奈川)松井裕樹投手(3年)らとともに、世界一を目指す。

 「優勝投手なんて全然(心に)描いていなくて、奇跡のような気がする」。最後まで守り抜いたマウンドで、前橋育英・高橋光は優勝を決める空振り三振を奪うと、両腕を突き上げた。9回裏2死一、二塁。最後の687球目に選んだのは最速148キロの直球でなく、133キロのフォークだった。「先輩たちや仲間、全員の思いを込めた」という1球は外角高めから鋭く落ち、バットにかすることなく捕手のミットに収まった。

 初出場初優勝に導いた。準決勝まで継続していた自責点0の記録は、4回に味方の失策から3失点して44イニングで途切れた。それでも直後に追い付いた打線に助けられた。「点を取られて弱気になって『自分、何やってるんだろ』と思った」とスイッチが入った。疲労で通常より10キロ前後落ちる130キロ中盤の直球をコーナーに投げ分け、5回以降打たれた安打は2本。三塁を踏ませなかった。

 「体が重くて全然動かなかった。気力でやっていた」と体調は万全ではなかった。前夜は熱中症で目が腫れ、下痢になった。点滴を打つか考えるほど、5戦で553球を投げてきた体はボロボロ。しかし「横になったら楽になった」と病院には行かず、宿舎で治療。「自分は2年生だと思っていない。負けたら引退だと思って投げる」と強い覚悟で臨んだ。1、3、5回のイニング終了後には、足がつらないように粉末のBCAA(必須アミノ酸)のサプリメントを摂取した。

 「実感がない」という優勝でも、甲子園に1つだけ忘れ物をした。最後の1球がフォークだったことだ。「本当はストレートを投げて三振を取りたかったけど、今の自分ではダメだと思った」と悔しそうな表情を浮かべた。同学年のライバル済美・安楽や浦和学院・小島に勝ちたいという気持ちからだ。「自分は(他の2人に比べて)やっとここまで来た。来年は最後に自信のあるストレートを投げられるようになって、全国を代表する投手になりたい」と進化を誓う。

 野球を離れると川でイワナやヤマメをモリで突くのが上手という純朴な少年だ。最後は「先輩と一番長く野球ができてうれしい。帰ったら家でお母さんのご飯が食べたい」と笑った。日本一の風格より、あどけなさが残る16歳が見せた優勝への軌跡は、来夏の熱い戦いを早くも感じさせた。【島根純】

 ▼前橋育英・高橋光が防御率0・36をマークした。過去3年の優勝エースの防御率を見ると10年島袋洋奨(興南)1・94、11年吉永健太朗(日大三)2・90、12年藤浪晋太郎(大阪桐蔭)0・50。高橋光は並み居る3年生の数字を上回った。歴代の下級生V投手と比べても、防御率0点台は65年上田卓三(三池工=0・90)以来の快挙。のちに「怪童」と呼ばれた61年尾崎行雄(浪商=0・41)をしのぎ、74年の金属バット採用後、これほど安定した下級生も珍しい。

 決勝戦の3点差逆転は07年佐賀北(4点差)以来6年ぶり。これでチームは今大会4度目の1点差。優勝チームで1点差勝利4度は17年愛知一中(現旭丘)58年柳井に並ぶ最多で、高橋光の完投が粘り勝ちを引き出した。【織田健途】