山あり谷ありの道のりを、温かく支えた野球人生の「母」がいる。日本ハム有原航平投手(22)は名門広陵(広島)-早大とエース街道を走り、アマチュア球界のエリートコースを歩んでプロ入りした。その間、陰では数々の挫折を味わってきた。恩師である広陵・中井哲之監督(52)の夫人の由美さんとともに、いつも壁を乗り越えてきた。時に弱音を漏らし、素顔もさらした。ポーカーフェースで鳴らす右腕の原風景が、思い出をたどると見えてくる。その「母」から、晴れの日に直筆メッセージが届いた。
無償の愛に導かれ、晴れの日を迎えることができた。アマチュア時代の有原に寄り添ってくれた、野球人としての「母」がいる。広陵時代からの恩師、中井監督の夫人・由美さん。寮母ではなく、名将の妻として陰から名門野球部を支えている。有原が絶大な信頼を置く人物だ。「自分で判断しかねることを相談すると、これって答えを出してくれる。偉大な方です」。プロ入りまでの険しかった人生の師の1人と仰ぐ。
道しるべになってくれた。早大4年時の昨秋。東京6大学リーグの法大との開幕戦を控えていた。先発を、右肘痛の不安で回避した。直後に中井監督へ電話で報告すると、心配されて受け流されただけだったという。エースとしての自覚の乏しさなどを厳しく注意されると身構えていたが、想定外の反応。由美さんにメールした。「監督、僕のこと全く怒らないんですけれど、もう無視ですかね。何かありました?」。見限られたと思い、疑心暗鬼になっていた。
時には監督との間の「クッション」になってくれ、本音を打ち明けることができた命綱だった。由美さんは「珍しいね、この子。どうしたんかな」と驚いたという。有原はめったなことで弱音も吐かず、メールを送ってくることはなかったが、ちょうど野球人生を左右するドラフト会議を控えていた頃。「全然、怒っていないし、すごく心配しとったよ」。由美さんの言葉が、止まない不安を沈めてくれた。
有原の実家は広島市内。通学可能だったが、両親の勧めで高校3年間は同じ市内で寮生活。周囲によれば、他人に心を開くのに時間がかかるタイプだという。朗らかで、太陽のような由美さんが心のよりどころだった。高校3年の最後の夏が終わった10年秋も、そうだった。違和感を覚えた右肘を診察してもらうため、大阪の治療院を訪ねることになった。当時18歳。中井監督から道順や宿泊先などを教えてもらったが、見知らぬ土地への1人旅。こっそり、由美さんにだけは不安を打ち明けていた。「1人で不安です。先生には絶対言えませんが…」。厳しかった同監督に両親…。甘えることができた、唯一無二の存在だった。由美さんは「エースの背番号がどっしりとしていて、ユニホームを着ると頼りになる子でした」と笑った。
マウンド上の堂々とした姿から一変し、由美さんの前では「子ども」になれた。孤独で重圧のかかるエースという立場。夏の大会前に3年生全員に、お守りを作りプレゼント。こどもの日やクリスマス、バレンタインデーなどの行事にはポケットマネーで部員へプレゼントを用意してくれるような大きな愛情。そんな「母」に育まれてきた。ドラフト1位でプロに入り、初登板初勝利を挙げた。
この日。直筆メッセージが届いた。大役を終えた有原へ。由美さんがわが子を迎え入れるように両手を広げ、待っていた。温かい愛が宿った、思いがつづられていた。二人三脚で歩んできた、アマからプロへ-。まるで「卒業証書」のようだった。【田中彩友美】



