ロッテが七夕の借りを返した。オリックス12回戦(ほっともっと神戸)で、同点の9回に福浦和也内野手(41)が決勝犠飛を放ち、3-1で連敗を3で止めた。98年7月7日の同球場で行われたオリックス戦では3-1で迎えた9回2死から黒木(現日本ハム投手コーチ)が同点2ランを浴び、延長戦でサヨナラ負け。プロ野球記録の17連敗目を喫した。ファンの間で今なお語り継がれる「七夕の悲劇」。あの時以来の神戸でのオリックスとの七夕決戦。19年の時を経て「七夕の歓喜」となった。

 曇り空に天の川は見えなかった。だが、福浦の打球は勝利への懸け橋だった。1-1の9回1死満塁。「あんな良いところで代打に使ってくれた」と意気に感じた。オリックス平野の初球はボール。2球目。やや高く来た球に手を出した。「初球ボールが効いたね。外の球に素直にいった。そうすると、犠飛になりやすい」と経験値が上回った。左翼へライナー一直線。ファンに愛されてやまない男の決勝点に、黒く埋まった左翼席が沸いた。

 試合前の練習中に思い出していた。「18連敗したよな…」。98年6月13日から続いた惨劇。プロ野球記録となる17敗目が、まさに、同じ神戸の七夕の夜だった。3番一塁でフル出場。1安打に先制犠飛と奮起した。ところが、連敗ストップまでアウト1つで、まさかの同点2ラン。プロ5年目の若手は、マウンドで崩れ落ちる黒木を一塁から眺めるしかなかった。「ぺーぺーで、毎日必死だったなあ。あの時は何やっても勝てなくてね。打ったら、もっと点を取られるし、投手が抑えたら向こうがもっと抑えて。野球って難しいね。勝つ時は、あっさり勝つのに」。24年目のベテランの心に、いまだ刻まれている1戦だった。

 あれから19年ぶりに、同じ球場、同じ相手。ようやく巡ってきたリベンジのチャンスだった。9回は安打と四球の後、加藤が必死の進塁打で好機を広げた。先発した涌井は先制こそ許したが、最少失点で7回まで投げた。福浦は「(主将の)大地が声を出して盛り上げてくれている。なんとか1つでも勝てるようにしたい」と、笑顔で球場を去った。最下位のチームが、全員の力を合わせてつかんだ1勝。「七夕の悲劇」を振り払う勝利から、奇跡的な快進撃を狙う。【古川真弥】

 ▼福浦と犠飛 福浦の犠飛は、13年9月30日日本ハム戦でのサヨナラ犠飛以来4年ぶり。通算では自身が持つ球団記録を更新する75とし、現役では新井(広島)に並ぶ最多タイ、パ・リーグでは張本を抜いて単独5位となった。また福浦は98年7月7日のオリックス戦に「3番一塁」で出場しており、3回に先制点となる犠飛を放っている。

 ▼通算2000投球回=涌井(ロッテ) 7日のオリックス12回戦(ほっともっと神戸)の5回、小島の犠打で達成。プロ野球89人目。初投球回は西武時代の05年3月29日の日本ハム2回戦(札幌ドーム)。