巨人相川亮二捕手(41)が3日、今季限りでの現役引退を表明した。今季最終戦のヤクルト25回戦前、神宮球場内で会見を行った。会見後に行われた現役最後の試合は、ベンチからのスタートとなった。会見の主な内容は以下の通り。

 

 相川 私、相川亮二は、今年で引退させてもらうことになりました。実際、まだやれるのかという自問自答を繰り返したのですが、球団からも、もう1年契約してくれという話もありましたし、コーチの話もいただいて、考えて考え抜いた結果が引退でした。23年間、ありがとうございました。

 

 -引退の理由

 相川 ずっと第一線で勝負したいという思いがあって今までプレーしてきて、小林誠司、宇佐見真吾(が出てきた)。小林に限っては捕る、止める、投げる、球界トップといっていいぐらいの選手になったと思うし、宇佐見にしても打撃が抜けているレベルと思う。あの若さで。その結果、自分が仕事をする場所がなくなったのが一番の理由です。

 -どういう捕手を目指してきたか

 相川 投手に信頼され、チームに信頼され、とにかく仲間に信頼、信用してくれる選手を目指してやってきました。

 -横浜時代の思い出は

 相川 一番長くお世話になって、どこもだけど、楽しいとかうれしいよりも、やっていて苦しいな、ってことが多かったし、どこに行っても楽しく野球をやるのは1度もなかった。1軍に来て初ヒット、初ホームラン、初めて先発で出て勝った時が、一番強く印象に残っています。

 -同世代の引退が続く

 相川 近い仲間たちがやめていく中、何とか残ってというか、自由契約、いらないって言われるまでやろうと思っていたけど、気持ちも体も追いつかなかった。

 -ヤクルトでの思い出

 相川 キャッチャーで優勝してなんぼというのを、ずっと目標にやってきた。巨人に来てもレギュラーっていう試合の出方ではなかったし、レギュラーで優勝したかった。

 -7月30日のDeNA戦ではサヨナラ打を放った

 相川 自分では仕事してなかったので、あそこでまさかの結果。自分が一番びっくりしました。この年で監督がああいうところで使ってくれて感謝しています。

 -思い出の試合

 相川 苦しい試合の方が思い出深い。打った、良かったはあんまり覚えてなくて、その中でも2011年のクライマックスシリーズは一番印象に残っている試合です。

 -現役時代の支え

 相川 優勝したいという思いと、母親が亡くなっているので、(自分のことを)一番思ってくれていた。そのために、1年でも長くと続けてきました。

 -天国の母にはどのような報告をしたい

 相川 「やり切ったよ」という風に伝えたい。

 -母はどんな言葉をかけてくれると思うか

 相川 「本当によくやったね」って。オヤジに「やめるわ」って言ったら「よく頑張ったな」って間髪入れずに言ってくれたので踏ん切りがついた。それが一番。

 -相川にとって、キャッチャーとは

 相川 苦しいポジションと思うし、その中にもやりがいがあった。キャッチャーにしか分からない喜びを見つけられた。キャッチャーをやって良かったと思います。

 -今後は

 相川 ジャイアンツからもコーチのお話をいただいたんですけど、まだ勉強不足と思っていますし、いつになるか分かりませんけど、また、もし、お声を掛けてもらった時に、期待に応えられるコーチになりたい。人の人生を預かるから、しっかり成長させられるようなコーチになれるように、勉強していきたい。

 -最後の試合が、思い出の神宮球場で、古巣のヤクルト戦になった

 相川 どういう出番になるかは分からないけど、持っている全ての力でバットを振りたいですし、一番強い球を投げていきたいです。