巨人阿部慎之助捕手(40)が25日、都内ホテルで引退会見を行った。

19年間の現役生活、決断に至るまでの心境を穏やかに語った。プロ1年目の開幕戦から正捕手に抜てきされ、12年に正力松太郎賞、17年に2000安打、今季6月に400号、栄光の勲章で大きな足跡を残した。来季の入閣は確実視されているが、ポストについてはシーズン終了後に検討される。長く阿部を取材する担当記者が大きな節目に至るまでの心境を追った。

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「お前が泣いてどうすんだよ」。壇上の阿部がえくぼをへこませて突っ込んだ。13年前に初めて会った。「てめぇ、このやろう!」と同じぐらい「ありがとう」と言われた。

広島で2000安打を達成した直後は「辛~い、つけ麺が食べたい」。極度の人見知りだから、同じ飲食店ばかり通い詰めた。落ち込んだり、愚痴ったり。仲間にも記者にも「やっぱり誰より野球が好きです」と野球談議はいつも熱くて本気だった。思い出が巡り、不覚にも質問の途中で声に詰まった。泣く寸前で、笑顔の突っ込みに救われた。

泣かずに引退会見を終えた。でも若き日は、泣き虫がトレードマークだった。負けん気と優しさのはざまで戦い続けた。

ルーキー時代の自分へメッセージを問われ「マスコミに負けずに頑張れ」といたずらっぽく見渡した。そして「偉大な先輩がたくさんいる中、とにかく『負けるな』と言ってあげたい」と核心を突いた。未熟なリードは容赦なくバッシングを受けた。「勝っても、負けても、ロッカーでバスタオルを頭からかぶって毎日泣いてた」。08年に優勝決定の試合で右肩を脱臼し、胴上げに立ち会えなかったとき。バットを置く決断をした22日の夜も「号泣ってやつだよな」。

会見前夜、現役最後の甲子園で阪神藤川との力勝負を終えた後は「会見は絶対に泣かないよ。真剣勝負が残っている。まだ終わっていない。泣いてる場合じゃない。しんみりするなよ」。会見中に壇上から「泣かせにきたんだから、泣かせる質問をしろよ」と言ったが、汗を拭うときのシャッター音を「泣いてないでしょ。そこを撮りにきたんでしょ」と笑い飛ばした。

本当は涙、涙の現役生活だった。人懐っこいけど、天真らんまんとは違う。優しさと弱さは紙一重で、ときに勝負勘を惑わせる。悟られないように明るさで隠し続けてきた。巨人の中心に君臨するからこそ際立つ、陰影として染みついた。

8度のリーグ優勝、3度の日本一と、幾度となく頂点に立った。「勝って当たり前だと思われて、その中で勝つという難しさを実感した」。伝統を常勝と理解し、重圧に真っ向から立ち向かった。「巨人でやった人しか分からない重圧がある。巨人の主力しか分からないことがある」。プライドは一時たりとも譲らなかった。

1年目に開幕スタメンに起用してもらった長嶋茂雄終身名誉監督。引退を電話で伝えた。「何歳になったか聞かれて、40歳です、と答えたら『おじいちゃんだな』と言われた。食事に誘ってくださったりしていただいたので、今でも感謝しています」。体調を崩す前は年の瀬に夫婦で食事に誘われ、ステーキを2枚ペロリと平らげるミスターに度肝を抜かれた。「俺よりも食べる。そのお店のビーフシチューがめちゃ、うまかったんだ」とミスターとの縁を誇りにした。

あれから19年。今までも、これからも、変わらぬ王道を歩む。「一寸たりとも心の中から消えないもの。多分、死ぬ寸前まで野球が好きなんだと思う」。泣くのは今じゃない。最後の最後も勝って、笑ったまま花道を飾る。その先に、もっと大きな舞台が阿部を待っている。【為田聡史】

◆阿部と為田記者◆ 記者は4学年下で、当時26歳の阿部を06年1月に沖縄・伊江島自主トレで初取材。12年の日本一達成時の1面原稿を執筆し、13年12月には米ニューヨークでの松井秀喜氏との対談にも同行するなど、密着取材歴13年