日本ハム田中賢介内野手(38)が、今季最終戦の27日オリックス25回戦(札幌ドーム)でラストゲームに臨んだ。

日本一2度、リーグ優勝5度。輝かしいプロ野球人生を歩んできた田中賢だが、実はその「最大のアクシデント」は、新幹線の中で起きた。

08年8月、大阪での試合を終えたチームが、福岡へ向けて移動していたときだった。当時、チーム内で流行していたのは将棋。「賢介いい手打つな~」。王将に迫る効果的な一手。窮地に立たされた隣席の森本は長考に入った。そんなときだった。

バタン!

将棋盤が突然、床にひっくり返った。「何するんだよ!」。振り返った森本はあぜんとした。田中賢の体がけいれんを起こし、酸素不足となった顔面はみるみる青ざめていく。「賢介! 賢介!」。車両中に声が響く。前の座席で眠っていた鶴岡は跳び起き、はだしのまま車掌室まで駆けた。「列車を止めてください」。普段は冷静な扇の要も、あわてふためいた。車内は、騒然となった。

次の停車駅・岡山に近づいていたため、同駅に救急車を待機させ、車両では田中を通路に寝かせた。名乗り出てくれた医者が応急処置。一度息が細くなったが、懸命の心臓マッサージで生気が戻った。

岡山市内の病院に到着するころには、田中賢の意識ははっきりと戻っていた。全身を検査しても、異常は見つからなかった。それでも、その日は絶対安静。集中治療室(ICU)で一晩を過ごした。

翌日のナイトゲーム、田中賢はなんと、心配する梨田監督に懇願し、グラウンドに立った。体調に問題なかったこともあるが、「主力は簡単に休んではいけない」という信念に基づく。「主力が休むと、他の選手も『じゃあオレもここが痛い』となる。これは悪い連鎖。チームは主力選手の色に染まると思っている」。だからどんなときも、チームのため、ファンのため、試合に出続けてきた。06年から10年まで、北海道移転後の球団記録となる620試合連続出場を樹立。この数字の裏に、命の危険にさらされた「危機的な夜」があったことを知る者は、少ない。【本間翼】