今年はオリックスの前身、阪急ブレーブスの名監督だった西本幸雄氏(享年91)の生誕100年にあたる。1967年(昭42)10月1日に球団初優勝、計5度のリーグ制覇に導いた。阪急エースで通算284勝をあげた元中日監督、阪急・オリックスOB会長・山田久志氏(72=日刊スポーツ評論家)が功績を語った。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

西本氏は阪急ブレーブスを率いて計5度のパ・リーグ優勝を果たした。就任5年目の1967年10月1日に球団初優勝に導き、第1次黄金期を築いた。

山田 西本さんを語らずして阪急ブレーブスは語れません。パ・リーグのお荷物球団といわれたチームに意識改革をもたらした。勝つことに対する執念、勝つために何をすべきかを選手にたたき込んだ。

63年にコーチから監督に就いた西本氏だが、最下位、2、4、5位と低迷。66年オフに選手全員に行った信任投票で数人の不支持がでたが、小林米三オーナーに説得される。

山田 当時のことを諸先輩に聞くと、西本さんの野球についていけないと、主力どころから反発がでたようです。西本さんはユニホームを脱ぐつもりだったが、小林オーナーから「君が正しい」と慰留された。そこから大改革がスタートしたわけです。

初Vからのパ・リーグ3連覇。投手は梶本隆夫、米田哲也、足立光宏らが活躍、打撃はスペンサー、2年目長池徳士が開花。若手を徹底的に鍛えたのは「西本道場」だった。

山田 西本さんは、長池さん、大熊(忠義)さん、山口(富士雄)さんら若い選手を鍛えた。いわゆるヤングブレーブスで、西宮球場に隣接した室内練習場はずっと順番待ちで空きがなかった。阪急は強豪チームに変わっていった。

第2次黄金期は71、72年のリーグ優勝で、山田久志、福本豊、加藤秀司の68年ドラフト同期が中心だった。山田は71年22勝で防御率1位に輝くと、17年連続2桁勝利。福本は70年から13年連続盗塁王。加藤は「3番一塁」で活躍した。

山田 西本さんの練習は中途半端ではなかった。福ちゃん(福本)が内野安打を打つと、西本さんから「そんなバッティング教えたことない!」と叱られていました。それからホームランを打てる1番打者に育っていく。福本豊は日本の野球を変えた。わたしは70年に開幕から6連敗した。先発、中継ぎ、抑えに敗戦処理となんでもありで、出れば打たれ、出れば打たれ…。でもそれが71年の優勝につながった。

大毎、近鉄を含めて計8度のリーグ優勝。常勝軍団に育った阪急は「勇者」と称された。

山田 長い間、野球でいい思いをさせてもらいました。でも日本一になって西本さんを胴上げできなかったことだけが、今でも心残りです。

◆西本幸雄(にしもと・ゆきお)1920年(大9)4月25日、和歌山県生まれ。和歌山中(現・桐蔭)-立大から社会人を経て50年、毎日(現ロッテ)入団。60年に大毎監督に就任し優勝(同年退団)。63~73年阪急監督で5度、74~81年近鉄監督で2度リーグ優勝も日本一はなし。監督通算1384勝(プロ野球6位)1163敗118分け、勝率5割4分3厘。79年正力賞受賞。88年殿堂入り。11年11月25日、91歳で死去。