広島が堂林翔太内野手(30)の決勝2号ソロで、セ・リーグ通算4500勝に到達した。

0-0の5回、中京大中京の後輩、中日高橋宏斗投手(19)から左翼へ運び、09年夏の甲子園優勝の先輩が意地を見せた。この1点をエース大瀬良大地投手(30)が2安打完封の快投で守り切り、首位巨人とのゲーム差を2・5に縮めた。

快音とともに、確かな手応えが両手に残った。0-0の5回だ。堂林はカウント3-1からの151キロに鋭くバットを振り抜くと、走りださずに打球の行方を追った。中京大中京の後輩、中日高橋宏を打ち砕く1発が貴重な先制2号ソロとなり、チームに通算4500勝をもたらした。

「バッター有利のカウントだったので、思い切って狙って、しっかり捉えることができました」。

1回の1打席目は初球高め153キロに空振りし、抜けたフォークに見逃し三振。3回の打席でも高め真っすぐを捉えきれずに中飛に倒れた。5回は三度目の正直で、真っすぐを捉えた。「後輩と、プロの世界で対戦できるということはうれしいです。もっともっとこれから対戦が増えるように、僕自身も頑張りたいと思いますし、お互い頑張っていけたらなと思います」。初対戦ではまず、先輩としての貫禄を示した。

プロ2年目の高橋宏に対し、今季で13年目となる。「プリンス」と呼ばれるも、プロでは喜びよりも悔しさばかりだった。昨季は開幕直前のコンディション不良が影響して打率は2割を切った。不退転の覚悟で臨む今季は開幕からトレーニングやケアを入念に行い、ルーティンを確立。限られた出場機会の中で結果を残し、徐々に出番を増やしていった。

23日DeNA戦から5試合連続で1番起用。全試合で安打を記録する。首脳陣は“暫定1番”と指名するも、本人は「しばらくが、1年になるように頑張ります」と巡ってきたチャンスをつかみ取ろうと必死だ。佐々岡監督は「厳しい先輩ではありますけど、価値ある一発だった」とたたえた。ひと振りで連敗を止め、球団節目の勝利につなげた。「自分のいいところをどんどん出して行ければなと思います」。30歳も、まだまだ貪欲だ。【前原淳】

◆堂林と高橋宏の中京大中京時代 堂林は3年夏(09年)の甲子園で「エース兼4番」として43年ぶりの優勝を果たした。投手として4勝、打者では打率5割2分2厘、1本塁打、12打点をマーク。決勝でも先制2ランを放ったが、6点リードの9回に日本文理(新潟)に5点を返された。試合後のインタビューでは「本当に最後は苦しくて…」と号泣。高橋宏は出場予定だった20年センバツが中止に。救済措置として甲子園で開催された同年夏の交流試合で智弁学園(奈良)戦に先発。最速153キロで延長10回5安打3失点で完投し、4-3で勝利した。

<広島の節目勝利>

◆1勝(1950年〈昭25〉3月14日、16-1国鉄、広島総合)球団創設から3試合目で初勝利。15安打16得点で大勝した。

◆500勝(60年5月7日、7-1阪神、広島市民)草創期に活躍し、身長167センチで「小さな大投手」と呼ばれたエース長谷川良平が9回1失点で完投。

◆1000勝(68年9月9日、3-2サンケイ、神宮)0-1の6回に3点を奪って逆転。大石弥太郎から外木場義郎のリレーで競り勝った。

◆1500勝(77年4月28日、3-2大洋、川崎)77年に20勝を挙げた高橋里志が8回途中を1失点。打線も1点ビハインドの4回に山本浩二の逆転3ランが飛び出した。

◆2000勝(84年9月1日、6-1ヤクルト、広島市民)山本浩二が2発、左腕の川口和久が9回1失点と投打がかみ合った。

◆2500勝(92年4月8日、9-5大洋、横浜)マーティー・ブラウンが初回の第1打席に3ラン、2回の第2打席は満塁本塁打と2打席連発。2回の本塁打はチーム100号の満塁本塁打となるメモリアルアーチで白星に花を添えた。

◆3000勝(99年9月7日、12-7ヤクルト、神宮)ルーキーの新井貴浩が2ラン2発、金本知憲も2ランを放つなど13安打12得点で打ち勝った。

◆3500勝(07年8月24日、8-7巨人、広島市民)7-7の9回2死から代打の尾形佳紀が右翼にサヨナラ弾。6度の右ひざ手術を乗り越えた苦労人が試合を決めた。

◆4000勝(15年6月19日、3-1DeNA、横浜)前田健太が9回を5安打8奪三振で1失点。119球の力投で勝利へと導いた。

【ニッカン式スコア】29日の中日-広島戦詳細スコアはコチラー>