<運命の日を待つ(上):大学生編>◆山崎福也投手(日大三-明大)

 「奇跡の子」が、ドラフト1位でプロ入りする日が目前に迫った。23日に行われるプロ野球のドラフト会議に向けて、日刊スポーツでは「運命の日を待つ」と題し、有力選手らにスポットを当てた3回連載を行います。第1回は「大学生編」。明大の大型左腕、山崎福也投手(4年=日大三)は中学3年時に脳腫瘍の手術を行い、余命7~8年という大病からカムバック。最上位クラスの評価を受けるまでに成長した。

 08年3月21日。かすかに雪が残る札幌で、手術室に入ってから6時間がたっていた。山崎がうっすらと目を開くと、白衣を着た大勢の人たちがのぞき込んでいた。

 「頭の右上の方から先生の声が聞こえました。『野球できるぞ!

 (腫瘍を)全部とったよ!』って」

 脳腫瘍が見つかったのは中学3年の11月。進学を希望していた日大三は入学に際し、健康診断書の提出を義務づけていた。脳の検査は必要なかったが、母路子さん(52)に「どうせなら全身検査してみたら?」と促され、磁気共鳴画像装置(MRI)を撮った。すると、前頭葉に影が映った。

 診断は「小児延髄上衣腫(じょういしゅ)」。神経をつかさどる重要な部位に4・2センチの腫瘍が見つかった。「死んじゃうのかな…って思いました」。自覚症状は全くなかっただけに、突きつけられた現実に頭が真っ白になり、泣くこともできなかった。手術するには難しい箇所。病院を探し回り、北海道大学病院の名医の執刀により、全摘出した。生存率10%といわれた大病からの生還だった。

 12日、法大2回戦で先発した山崎の応援に、勝又祐輔くん(13)が駆けつけた。脳腫瘍を患う野球少年と出会ったのは4年前。同じように北海道大学病院で診察を受けたことが縁だった。センバツ準優勝の勇姿をテレビで見たことから交流が始まり、明大入学後も毎シーズンに1度は必ず、静岡・御殿場から来てくれる。「祐輔くんに会うと頑張らなきゃ、って思うし勇気や元気をもらいます。自分は治りましたが、まだ病気で苦しんでいる人がいます。その人たちのためにも頑張りたいです」。

 路子さんの手元には、診療に関する資料がすべて残されている。6年前に書かれた1枚のカルテには、「将来はプロ野球選手を目指しているそうです」と記されていた。路子さんは「お医者さんに言われました。この子は奇跡の子だ、って」。15歳で医師に誓った夢が現実になろうとしている。運命のドラフトまで、あと2日だ。【和田美保】

 ◆山崎福也(やまさき・さちや)1992年(平4)9月9日、埼玉県生まれ。小2から野球を始め、中学時は所沢中央リトルシニアに所属。日大三では1年秋からベンチ入りし、エースとして10年センバツ準V。187センチ、87キロ。左投げ左打ち。家族は両親と兄。父は元巨人捕手で現兵庫ブルーサンダーズ監督の章弘氏。

 ◆明大・山崎の通算成績

 1年秋の東大2回戦で救援し初勝利。2年時は4勝。3年時は春6勝、秋5勝で連覇の原動力となり、春秋でベストナイン獲得。今季は1勝で通算勝利は現役最多の20勝。早大・有原、法大・石田はそれぞれ通算18勝。