久しぶりにK-1を取材した。14年に新生K-1となって、3月21日にさいたまスーパーアリーナのメインで初開催。魔裟斗がいた00年代以来の取材だった。ふたを開ければ、約10時間で24試合が実施された長丁場に、1万5000人が詰めかけていた。

 最初の93年K-1ワールドGPも取材した。無差別級トーナメントがメインで、日本勢は空手から格闘家になった佐竹雅昭がトップだった。ピーター・アーツ、アーネスト・ホーストらがいたが優勝は伏兵ブランコ・シカティックも、代々木第1体育館に1万人が集まった。

 K-1とはうまく考えたなと思ったものだ。空手、キックボクシング、カンフー、拳法などの立ち技系格闘技で、キングも意味するKにNO・1の1がつけられたという。今やお笑いでM-1やR-1もある。F1が出発点だろうが、K-1が定着した効果といえるだろう。

 当初の5回から現在は3回制で、キックもあることで早期決着、KOの多さが魅力。今大会も中盤判定が続いたが、結局は半分の12試合がKO。メインの8選手のスーパー・フェザー級トーナメントも7試合中4試合がKOで盛り上がった。

 今は第3期K-1といえる。創成期はサイズとパワーの迫力があった。かかと落としのアンディ・フグが96年優勝などで人気となったが、白血病で帰らぬ人となった。00年代はワールドMAXでミドル級が中心となり、魔裟斗が女性も含めて人気を集めた。さらに元横綱曙、ボブ・サップらも参戦した総合格闘技イベントに発展した。

 魔裟斗の引退、経営陣の交代などから下火になり、新生K-1へと移行した。日本人中心のイベントだけに、創成期からは徐々にサイズダウンしてきた。世界大会という部分でも、物足りなさは否めない。選手たちもいろいろキャラをつくって、ここぞとアピールしていた。

 その中で武尊が初の3階級制覇を達成した。1回戦は判定も、準決勝、決勝はKOで決めた。ストイックな姿勢を貫くイケメン。しゃべりは控えめでリングに徹する。名前でもあるリングネームは、ヤマトタケルノミコトから命名されたという。第3期K-1はこのエースにかかっている。【河合香】