1年前の夏場所を境に、見なくなった光景がある。横綱白鵬の「駄目押し」。

 一時はかなり騒動になった。14年九州に始まり、15年名古屋も。16年春には当時の井筒審判長(元関脇逆鉾)の大けがにもつながった。師匠を通じて厳しく注意されたが、翌場所でも宝富士、正代、そして魁聖に見舞った。その翌朝だった。審判部で副部長だった友綱親方(元関脇魁輝)が、部屋で白鵬と話したのは。

 親方は静かに切り出した。「自分はいいかもしれない。でも、子どもたちが学校に行ったときに『あなたのパパは…』となるんだよ。家族や自分以外の人たちに、胸を張れるかい?」。

 頭ごなしではない。「せっかくボランティアもする立派な横綱なのに、こういうことをしたら子どもにつらい思いをさせるんじゃないかと思った」。思いは伝わり、白鵬も変わった。

 親方生活30年。力士らを見る目も口も、指導も厳しいが、げんこつ主流の時代で手を上げたことはほとんどない。「横綱が少しでも聞いてくれれば先々、相撲協会のためになるから」。横綱に面と向かって諭せる姿を持つ。審判部時代は場内説明こそ苦戦したが、その言葉には深みと優しさがあった。【今村健人】