炎鵬が25歳になった。誕生日の10月18日、京都巡業で話を聞くと、感慨深そうだった。

「自分にとって、こんなに濃い1年は経験がない。成長できたかな、と思いますね」

金沢学院東高3年で世界ジュニア軽量級に優勝。金沢学院大では世界選手権軽量級を2連覇。一般企業への就職を考えていた時、白鵬に誘われ、角界入りし、17年春場所で初土俵を踏んだ。そこからわずか2年半。体重100キロに満たない男は今や幕内に欠かせない人気力士になり、幕内上位との対戦もうかがえる番付まで上り詰めた。

覚醒の24歳だったかもしれない。新入幕だった5月の夏場所を7勝8敗と負け越した。その後、ある出来事があった。

6月中旬の滋賀・長浜合宿に体重102キロで入った。生涯で最も重い。細めの食に悩み、必死で食べ、少しでも体重を増やそうと苦労を重ねてきた。増えるほど、喜んだ。スーパーヘビー級の力士に力負けしないために-。それだけに期待感があった。ところが、裏目に出た。

「実際に動くと、めちゃめちゃ体にキレがなかった」。合宿4日目には右脚付け根の筋を違え、もん絶した。体重を落とした。それが現在の98キロ。すると体が動く、動く。「あの時“なんだ、そこじゃないのか”と思ったんです。体重を落としたら、すぐ動きが良くなった。そのへんからですね、こだわりがなくなったのは」。体重が勝手に増えるなら、それもよし。ただ、無理に増やそうと思わなくなった。

軽量力士の大先輩、元小結の舞の海秀平氏は31歳で土俵を去った。

炎鵬に聞いた。

何歳までやれると思う?

「う~ん…正直、長くはできないと思います」。舞の海氏の引退年齢を告げると、納得したようにうなずいた。

体重へのこだわりを捨てた後、7月の名古屋場所を9勝6敗で初三賞の技能賞を獲得。秋場所も9勝6敗だった。小よく大を制すを地で行く取り口で館内をヒートアップさせる。それを少しでも長く続けるなら、体に無駄な負担を強いるべきではない。100キロ未満こそ現状のベストという判断が炎鵬をさらに輝かせることになるなら、とてもおもしろい。【加藤裕一】

25歳の誕生日に、今後の抱負を語る炎鵬(撮影・加藤裕一)
25歳の誕生日に、今後の抱負を語る炎鵬(撮影・加藤裕一)