世界王者返り咲きを狙った八重樫東(36=大橋)はIBF世界フライ級王者ムザラネ(南アフリカ)に完敗も今後の明言は避けた。

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八重樫は9回にワンツーを浴びてのけ反った。ここから防戦一方で、何度もロープを背にした。大橋会長がコーナーの階段で、この試合3度目となるストップの準備。残り10秒の拍子木が鳴ったが、残り6秒でレフェリーに止められた。

左目周囲は青く腫れていた。「力不足」と繰り返した。「途中でいけるかと思ったが、甘かった。王者が強かった」。敗北を認めたが、中盤までは八重樫ペースにも見えた。ドゥワルテ・ジャッジは南アフリカ出身も6回まで五分だった。

序盤は足を使い、4回から接近戦に挑んだ。ボディーを見舞うが、距離が開くとクリーンヒットされた。8回は右ストレートに後退。「左を注意していた。やべえと思った」。予想以上にパンチが強かった。

17年に3度目王座から陥落した。半年以上ジムを離れたが「やっぱりボクシングが好き」と現役続行。今もジム一番の練習量。引退を勧めた会長をうならせ、2年7カ月ぶりでこぎつけた世界戦だった。

試合前は家族と離れての生活で、今回は約2カ月も帰宅は2回だけ。次女一永(ひとえ)ちゃん(6)の「頑張って」との涙声の留守電にも我慢した。「結果を出せず、子供に何も言えない」と肩を落とした。

勝てば日本人男子最年長奪取だったが、来年2月には国内規定では定年の37歳となる。元世界王者は続行可能だが「進退を考えなきゃいけない。のんびり考えます」。大橋会長は「限界か」と報道陣に問われて「ちょっとね」と答えた。激闘王がグローブをつるす時が来たようだ。【河合香】

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座獲得で3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の3階級制覇を達成した。2度防衛。家族は彩夫人と1男2女。160センチの右ボクサーファイター。