三沢さんに2万6000人が涙で別れを告げた。6月13日の試合中に急死したノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(享年46)の「お別れ会」が4日、ノアの本拠地、東京・江東区のディファ有明で行われた。当初は5000人前後の参列を見込んでいたが、徹夜組が出るなどファンが殺到。開始約2時間半後の午後4時前には、参列者の行列が2・4キロ離れた中央区晴海に達した。献花台となったリングはトップロープまで花に埋め尽くされ、改めて三沢さんのプロレスの枠を超えた存在の大きさを浮き彫りにした。

 献花のために特設されたリングは、トップロープまで花で埋まった。「三沢、ありがとう」。大勢のファンが涙を流し、絶叫しながら花を投げ入れた。リング正面上のGHCヘビー級のベルトを巻いた等身大の三沢さんの遺影が、途絶えることのないファンの涙をじっと見つめていた。会場の外に特設された机には、酒や寄せ書の色紙があふれ返った。

 突然の死から3週間がたった。しかし、ファンの三沢さんを悼む気持ちは、少しも薄れていなかった。当初、ノア側は5000人ほどの参列を見込んでいたが、27度を超える蒸し暑さの中、5倍を超える2万6000人もの参列者が駆けつけた。前日3日の午後4時半から会場前に徹夜組が並びはじめ、会が始まる5時間前の午前9時の時点で300人に膨れ上がった。

 一般ファンの献花が始まった午後2時すぎの時点で、4列縦隊の参列者は5000人に達し、列は会場のある江東区有明から豊洲まで延びた。会場最寄り駅のゆりかもめ「有明テニスの森」駅では、お別れの会参列者に2駅離れた「新豊洲」駅で降りるようアナウンスされた。同3時50分には列は2・4キロまで延び、区の境界線もまたいで中央区晴海に達した。

 ファンにとって三沢さんは、プロレスラーを超えた存在だった。お別れの会の参列者数がそれを物語っていた。一番乗りの西東京市の男性会社員(34)は「遺影にありがとうと伝えたかった」と話した。来賓のフリーアナウンサーの徳光和夫(68)も弔辞の中で「我が国にとっても掛け替えのないリーダーを失った。臓器移植への啓発活動、プロレスラーのセカンドキャリアの問題など、弱者に対する心配りがあった。総理大臣の座につけるようなスケールの大きさがあった」と、プロレスの枠を超えた故人の存在感の大きさを強調した。

 2万6000人という数字は、低迷するプロレス界に大きな力を与えた。今年1月4日、新日本東京ドーム大会で三沢さんと対戦した中邑真輔は「ディファ有明の周りを埋め尽くすファンの方々を見るとやっぱり存在の大きさを感じる。プロレスの歴史、伝統を守りつつ、色を出していかないと。リングの上で思う存分生きざまを見せていかないと」と気合を入れ直した。

 一般の献花は予定を1時間半以上を超えて午後7時33分で終了した。百田光雄実行委員長は「それだけ三沢社長の人気があった。追悼興行も考えないといけない」と話した。プロレスラーの佐々木健介は「この(ファンの)数を見てもらえば、どれだけ素晴らしい人だったか分かる。尊敬していたし、おとこ気がある人。自分もほれていました」。ファンからも、ライバルからも愛された故人を象徴する「告別式」で、三沢さんが航海に旅立った。