平成の大横綱が角界から去った-。大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)が25日、日本相撲協会に退職の届け出を提出したことを明らかにした。同日夕方に都内で引退記者会見を開き、年寄引退の理由を説明。弟子の貴ノ岩が被害者となった、昨年10月の元横綱日馬富士関による傷害事件に関する告発状に関しての、協会からの圧力が最大の要因だと話した。現在貴乃花部屋に所属している力士、床山、世話人は千賀ノ浦部屋に所属を変更する。自身の今後の活動については不明とした。
秋場所千秋楽から2日たったこの日の午後1時、代理人を通して貴乃花親方が相撲協会に退職の届け出を提出した。それから4時間後、貴乃花親方は都内の引退会見場に上下黒のスーツ姿で現れた。表情は無。報道陣に向かって一礼して水を一口飲み、語り出した。
「告発状の内容が事実無根な理由に基づいてなされたものであることを認めないと、親方を廃業せざるを得ないという有形無形の要請を受け続けてきました」
元日馬富士関による貴ノ岩に対する暴行事件に関し、日本相撲協会の対応を問題視。春場所前の3月9日に内閣府に告発状を提出した。だが同場所中に弟子の貴公俊が付け人に暴行して、告発状を取り下げた。その後、理事だった役職も5階級降格の年寄へ。貴乃花一門からも離脱して無所属となり「一兵卒」として再スタートしていた。
しかし8月7日に告発状に関する話が再浮上した。埼玉・所沢市で行われた夏巡業の会場で、春日野巡業部長(元関脇栃乃和歌)から八角理事長(元横綱北勝海)名義で「告発状の内容は全て事実無根である」といった内容が書かれた書面を手渡されたという。それに対して貴乃花親方も、代理人を通して反論した。
しかし秋場所終盤になり状況は一変。「名前は伏せさせていただきますが」と、ある親方から一門に所属しない親方は部屋を持つことができない旨の決定がされたことを聞かされたという。ただし条件として、告発状の内容を事実無根であると認めなければ、いずれかの一門に入れないとも告げられた。
だが「真実を曲げて、告発状は事実無根だと認めることは、私にはできません」と断固拒否。一門に所属しなければいけない期限は理事会、年寄会などが行われる27日までだったが、このままでは将来的に弟子が相撲を取れなくなると考え、この日に自ら引退に踏み切った。「苦渋の決断ではありますが、弟子達の将来まで見ずに断腸の思いです」と語気を強めた。
現在部屋には弟子、床山、世話人が合わせて10人在籍している。その全員が千賀ノ浦部屋へと所属を変更する。数年前から千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)には、有事の際には弟子らを引き取ってもらうように相談していた。弟子らには今朝、話したといい「泣く子もいました」と明かした。今後の自身の活動について「土俵に携わっていきたい」などと話したが、具体的な内容は明言しなかった。
1時間半の会見中、涙も見せず、感情もむき出しにしなかった。「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花。間もなく終わる「平成」とともに去るように、会場を後にした。【佐々木隆史】
◆一門問題 相撲協会は7月26日の理事会で、全ての親方や力士は9月27日の理事会までに5つある一門のいずれかに所属しなければならないと決定した。貴乃花親方は6月には自ら貴乃花一門を離脱し「阿武松グループ」への名称変更を協会執行部に申し入れ。同親方は無所属となっていた。
◆貴乃花光司(たかのはな・こうじ)本名・花田光司。1972年(昭47)8月12日、杉並区阿佐谷生まれ。元大関貴ノ花の次男で、父が師匠の藤島部屋(のち二子山部屋)に入門、88年春場所初土俵。兄の3代目若乃花と兄弟横綱となり、空前のブームを起こす。優勝22回。03年初場所中に引退して一代年寄「貴乃花」を襲名。04年2月に二子山部屋を継承し、部屋名を変更。10年に日本相撲協会理事となり、審判部長などを歴任。18年1月に理事を解任され、2月の理事候補選挙で落選。3月に弟子の暴行問題などで年寄に降格。