コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。初日は、あの歴史的大一番です。

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<大相撲夏場所プレイバック>◇初日◇91年5月12日◇東京・両国国技館

午後5時46分。歴史が動いた。「角界のプリンス」の称号が、昭和の大横綱千代の富士から、後に平成の大横綱となる貴花田(のちの貴乃花)に受け継がれた瞬間だった。

新十両昇進など最年少記録を次々と更新し、初の上位総当たりで迎えた西前頭筆頭の貴花田。翌月に36歳を迎える優勝31回の千代の富士は、ケガによる休場続きで118日ぶりの土俵。午前6時には当日券を求める約300人の行列ができた。協会あいさつで当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)が「進境著しい新鋭と古豪の激突をお楽しみに」と、あおった18秒3の濃密な一番。終始、攻めきった貴花田が黒房下、さながらラグビーのタックルのように左から渡し込むように寄り切った。18歳9カ月の史上最年少金星だった。

「勝負は勝つか負けるか2つに1つ。特別な気持ちはありません」。“大将”に勝っても平然と話す本人をよそに、記者クラブにいた父で師匠の藤島親方(元大関貴ノ花)は「100点満点あげていい」と30分で6本目となるタバコの煙をくゆらせて言った。

「三重丸って言っておいてよ。いや五重丸だ」。世代交代劇の引き立て役となった千代の富士は最上級の言葉を贈った。入門のための上京前日の70年8月、故郷の北海道・福島町での巡業で「頑張れ」と一文書かれた菓子折りをもらったのが当時大関の藤島親方。79年の秋巡業で禁煙を強く勧められ、体重増のきっかけを作ってくれたのも藤島親方だった。恩人の実子にバトンを渡し、千代の富士は3日目の貴闘力戦後に引退を表明した。