元幕内で西序二段55枚目の友風(26=尾車)が、1年4カ月ぶりの奇跡の復活を遂げた。

自己最高位、西前頭3枚目の19年九州場所2日目に右膝に大けがを負ってから、序二段まで番付を下げての土俵。若一輝(二所ノ関)を突き落とし、白星で飾った。

「約1年半なんで。いろいろ思うことはたくさんあった。土俵に上がれたのは素直にうれしい。内容は全然だめだったが、1勝できたのはよかった」

けがをした当初、医師からは「歩けたらいい」と通告されたという。右膝から下は皮膚と内側靱帯(じんたい)、血管1本がつながっていただけ。友風も自身の足を見て「無理だな」と思った。「皮膚、靱帯、血管でつながっている状態であとはぶらぶら」。3病院を移り、手術は4回を重ねた。「歩けるのか心配で相撲のことなど考えられなかった」という状況からの土俵復帰だった。

日体大相撲部をへて、17年夏場所で初土俵。翌18年九州場所で新十両昇進を果たし、その場所で十両優勝。19年春場所で新入幕、同年名古屋場所で11勝をあげて殊勲賞と順調すぎる相撲人生が一気に暗転した。「自分の中でけがをした瞬間、心が折れた。そんな自分にまわりが声をかけてくれて、やりきったか? と言われたらやりきれていない。引退は自分でやりきってからだと思った」。

入院期間は4カ月に及んだ。「けがのゴールが見えない。何よりそれがつらかった」。母親をはじめ、自身も大けがを克服した師匠の尾車親方(元大関琴風)からの言葉が励みになった。「師匠は頻繁に電話、ラインをくれた。『まだやれる』と言ってもらえたことが励みになっている」と感謝した。

「恐怖しかない。今日も土俵に上がって『高いな』と思った。頭の中にはけがをした時の映像が常に残っている。音も耳から離れない」

今も「粉々になった」という大腿(だいたい)骨をつなぐボルトが入り、日常生活にも気をつかう。それでも、復活の1歩を記せた。「とにかく今場所を無事に終える。その中で徐々に本場所の感覚を戻していきたい」。黒まわし、ちょんまげからの再出発。それでも悪夢しか見られなかった友風にとっては、うれしい門出だった。【実藤健一】