大相撲の元関脇寺尾で、17日に60歳で亡くなった錣山親方(本名・福薗好文)の弟子で、元十両彩(いろどり)の松本豊さん(31)が19日、東京・江東区の部屋を訪れた。

松本さんは17日午後8時27分に、うっ血性心不全で同親方が亡くなった際も、都内の病院で最期をみとっていたが、この日、あらためて部屋に運ばれていた遺体と対面。「たまに見せる、すごく優しい顔をしていました。いつもは厳しいですが、自分がいい相撲を取った後とか、本当にたまにだけ見せてくれる優しい顔。安らかな表情でした」と、悲しみをこらえながら話した。

松本さんは現役時代、初土俵から12年かけて19年夏場所で新十両に昇進した。出身は埼玉・越谷市で、部屋頭の小結阿炎は小学生時代から同じ相撲道場に通っていた後輩だ。しこ名の「彩」は、埼玉県の愛称「彩の国」に由来する。強心臓の阿炎とは対照的に、極度のあがり症。勝てば新十両昇進が確実という一番で負け続け、出世が遅れた。

3学年下の阿炎は、自身が幕下上位で停滞しているころに、新十両昇進どころか新入幕を果たし、横綱白鵬を初顔合わせで破って金星を挙げるほど成長していた。錣山親方の指導は一段と厳しくなった。それは、極端に緊張してしまう松本さんの性格を見抜いてのもの。緊張していても体が勝手に反応できるほど、基礎運動の繰り返し、土俵での申し合いを求められた。

東幕下筆頭で迎えた19年春場所。勝てば新十両昇進が確実な取組を前に、師匠から“優しい顔”で言われた。「余計なことを考えず、思い切り好きなことをやってこい」。部屋では誰よりも稽古してきた。それは師匠も分かっていた。師匠の言葉に、不思議と肩の力が抜けた。そして悲願の関取の座をつかんだ。

この日、現役時代を振り返った松本さんは、少し目をうるませて話した。「思い出は尽きないです。この部屋でなかったら、自分は関取になることはできていなかったです。師匠からはいつも『元気を出せ』『あきらめるな』と言われていました。辞めてからも気に懸けてくれて『何事も一生懸命やっていれば、絶対に手を貸してくれる人はいる』と言ってくれていました。本当のオヤジだと思っています。最高の師匠でした」。

松本さんは現在、東京・神田の焼き肉店で従業員として働いている。部屋と同じ江東区内に住み、この日も午後からの出勤前に自転車で立ち寄り、部屋の後輩らを励ましに来ていた。阿炎にも声を掛けた。「他愛もない話です。あまり考え込ませないように、少しでも力になれれば」。彩の最高位は西十両11枚目で、最高位関脇の阿炎には及ばない。それでも、小学生のころから先輩であることには変わりはなかった。

部屋を継承する予定の立田川親方(元小結豊真将)は兄弟子でもある。「師匠と同じ熱い人。自分が少しでも役に立てるなら」と、今後も部屋の盛り上げに尽力したい考えだ。師匠から譲り受けていた「寺尾」と刺しゅうの入った帯は「眠らせておくのも、もったいないので」と、近く後輩力士に譲る予定という。格闘家やラグビー選手ら特有のつぶれた耳は、治療せず現在もそのままで「変な人に、からまれないかな」と、笑い話にする。ただ師匠や兄弟弟子とつくり上げた努力の証しでもある。将来、自らの店を持つのが今の夢。大黒柱として力士である前に、一社会人として立派に育ててくれた師匠の背中を、今後も追い続ける。【高田文太】