大相撲の関脇で、大関昇進が事実上決まっている琴ノ若(26=佐渡ケ嶽)が、初場所千秋楽から一夜明けた29日、千葉・松戸市の佐渡ケ嶽部屋で会見を行い、初優勝、祖父の琴桜と同じ横綱を目指すことを誓った。相撲一家の3代目に迫る連載「父超えから祖父超えへ 大関琴ノ若誕生」を、全3回で掲載する。

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大関の座を射止めた琴ノ若の分岐点は、21年秋場所だった。「左膝内側側副靱帯(じんたい)、左膝内側半月板損傷で全治10日間の見込み」との診断書を提出し、10日目から休場した。実はこれが後に、靱帯断裂の大けがと判明した。医師からは「手術すれば1年間は出場できない」と、通達された。直前の名古屋場所で12勝を挙げ、初の三賞となる敢闘賞受賞の活躍。当時の自己最高位、西前頭3枚目に番付を上げていた。「これから」という矢先、急転直下の暗雲だった。

そんな時に後援会関係者から「再生医療というものがある」と耳にした。手術せず、自身の血小板を使った最新医療。佐渡ケ嶽親方は「本人は休場したくなかったので『それにかけてみよう』と決めた」と、当時を振り返る。すると断裂した靱帯が再生。リハビリなどで調整が遅れ、翌九州場所こそ6勝9敗と負け越したが、その後は順調。コロナ禍の不可抗力で、勝ち越し王手から5日間休場した22年名古屋場所を除き、皆勤した場所は現在まで、全て勝ち越し続けている。

琴ノ若は「けがの功名ではないけど、前に出る意識が強くなった」という。圧力をかけて勝ちきる力強い相撲が格段に増えた。佐渡ケ嶽親方も「それまでは小手先、柔らかさで勝っていた」と述懐。一般的に引きやはたきなど、下がるとけがをすると言われる中、意識改革が大関へと導いた。

祖父の琴桜は、右四つから突き、押しへと型を変えて横綱まで上り詰めた。その過程の映像を見て研究も重ねている。ただ琴ノ若は「誰かのまねだけで強くなるとは思っていない。先代(祖父)ではない、師匠でもない力士になりたい」と力説。目標は父と祖父を超える力士だ。【高田文太】