14日目を終えて12勝2敗で単独トップを守りながら、前日に右足首を痛めて救急搬送されていた新入幕の東前頭17枚目・尊富士(24=伊勢ケ浜)が、大相撲の歴史を動かした。痛みに耐えて、豪ノ山(25=武隈)を押し倒しで破った。1914年(大3)5月場所の両国(元関脇)以来110年ぶりとなる新入幕優勝。少しほほ笑むような、万感の表情を見せた。

その両国の11場所を上回る所要10場所の史上最速V。まだ大銀杏を結えない、ちょんまげ力士の優勝は、日本相撲協会によると初めての快進撃だった。

アクシデントを強い心身で乗り越えた。勝てば優勝だった前日の西前頭筆頭朝乃山戦で、右足首付近を負傷。自力で歩行できず、車いすで運ばれ、救急車で大阪市内の病院へ搬送されていた。

病院には3時間以上、滞在した。この日の朝稽古にも姿を見せなかったが、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が正午過ぎに「出る方向で調整している」と明らかにした。負傷箇所は「(右の)足首とか甲とか」だった。

その後、本人も午後2時17分に場所入り。少し引きずるしぐさはありながらも自力で歩き、同19分に支度部屋へ入った。午後3時24分には土俵入りし、同4時8分には土俵下へ。大きな拍手と歓声を浴びた。テーピングを巻いて固めた右足首で踏ん張り、豪ノ山を押し倒した。

新入幕ながら初日から無傷の11連勝。大横綱大鵬の記録に並んだ。しかし翌12日目、大関豊昇龍に初黒星を喫す。部屋に戻ると「めっちゃ悔しい!」と叫んだ。その荒ぶる心を鎮めてくれたのが、横綱照ノ富士からの電話だった。「場所中になかったのでビックリしました。『切り替えて準備に集中しろ』と。『上位は立ち合いだけで通じない』とアドバイスをいただいた。相手の体勢を崩すこと。相手がどういう攻め方をするか」の教えを受けた。

効果は13日目の土俵で示した。関脇若元春を立ち合いから攻め抜いて寄り切った。1敗を守った12勝目で賜杯に王手をかけたが「勝っても負けても自分の相撲をとって、15日間しっかりと土俵に上がることだけが務めと思っています」と冷静に話していた。その翌日に負傷に見舞われたが、信念を貫いた。

毎場所のように優勝を争う力士が登場する伊勢ケ浜部屋から、まさに令和の新時代を築く力士が誕生した。場所前の番付会見で、入幕のスピード記録を聞かれ、力強く言った。

「ありがたいことだけど、入門してからスピード出世にこだわりはなかった。記録で満足しているようでは先は見えない。相撲人生は自分の中で挑戦なんで。相撲をやっている間は自分の人生を相撲にささげたい」

その上で、次の目標を「いい景色を見たいですね。それが目標じゃないと。それが相撲道だと思うので」。先場所は、照ノ富士の優勝パレードの車に同乗して見た。その輝かしい景色を、自身が主人公で見る瞬間が早々と訪れた。

殊勲賞、敢闘賞、技能賞もトリプル受賞。00年九州場所のの琴光喜以来6度目という偉業も付いてきた。

実に1世紀以上、大正時代から110年も開かなかった扉が開いた。わずか24時間前の負傷も乗り越えた尊富士が奇跡を起こし、記録にも記憶にも残る歴史的Vを成し遂げた。【実藤健一】

◆尊富士弥輝也(たけるふじ・みきや)本名・石岡弥輝也。1999年(平11)4月9日、青森県五所川原市生まれ。鳥取城北高→日大。22年秋場所初土俵、24年初場所新十両で13勝2敗の優勝、今場所新入幕。184センチ、143キロ。得意は突き、押し。

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