尊富士の祖父、工藤弘美さんは大相撲の力士になる夢があった。

アマ34冠で日大理事長を務めた故田中英寿氏と同じ、青森県五所川原市金木町生まれ。若い頃には田中氏と一緒に相撲を取ったこともある。青森県代表として国体にも出場し、プロ入りも目指した。しかし、当時の新弟子検査の基準だった身長173センチに足りず、力士になることを諦めていた。

妻の洋子さんとの間には3人の娘。待望の男の孫、尊富士に夢を託すように6歳から相撲を取らせた。「男の孫が4人いるんだけど、全員に相撲をさせた。小学校のうちはやるけど、中学校になったら辞めてしまうべ。尊富士だけが残って、高校、大学とね」と笑った。

“ニンジン作戦”が功を奏した。「相撲を取れと言ったって、取るわけねぇべや。誰も喜ばねぇ。稽古が終わった帰り道にコンビニに寄って、からあげやアイスを買ってあげたんだ。帰り道が一番楽しいからとだまかして。だから、頑張れた。そして気付いたら本人が相撲を好きになってたんだ」と振り返った。

中高大と順調に実力をつけた尊富士だが、当初は角界入りには反対だった。自身もプロを目指しただけに「関取になれるのはほんの1割程度だべ。あとはみんな夢破れていく」と諭した。厳しい現実を突きつけても「強くなりたい」との決意は揺るがない。「本気なんだ」と決断を尊重した。尊富士が子供のころから「背が小さくてプロになれなかった」と口癖のように嘆いていた。知らず知らず自らの夢を背負ったのかとも思った。

工藤さんは110年ぶりの新入幕優勝に、うれし涙が止まらなかった。子供の頃に慣れ親しんだ「巨人・大鵬・卵焼き」になぞらえた日刊スポーツの21日付見出し「大谷・焼き肉・尊富士だぁ!」と叫びながら、自らの夢もかなえてくれた孫をたたえた。【平山連】