昨年のアカデミー賞で3冠に輝いた「コーダ あいのうた」は、美声に恵まれた女子高生が歌の道に進むか、聴覚障がいがある家族のサポートに専念するかで葛藤する物語だった。てんびんに掛けたのは夢と家族愛である。

6月9日公開の「テノール! 人生はハーモニー」の青年は、序盤から悩みが深かった「コーダ-」の女子高生とは違い、パリの移民コミュニティーの暮らしに居心地の良さを感じている。筋骨隆々の世話好きの兄に保護され、すし店でバイトをしながら大学で経理を学んでいる。

たまたますし店の出前をしたオペラ座で、指導教師の女性に才能を見いだされたことから、知るはずのなかった芸術の世界に触れてしまう。新分野へのチャレンジという選択肢をいきなり突きつけられることになる。

これが単独初メガホンというクロード・ジティ・ジュニア監督は、分断された社会や教育機会の不均等といった現代的な問題を絡ませながら、しだいにオペラに魅入られていく青年の様子をていねいに描いている。

天賦の才能によって貧困から抜け出すという旧来の一択パターンとは違い、「コーダ-」同様に主人公の前にはどちらもありと思わせる選択肢がある。あくまで本人しだい。無理強いの感じがしないところが今風と言えるのかもしれない。

主人公の青年を演じるのはビートボクサー(ドラムマシンのように音楽を作り出すミュージシャン)として注目されるMB14。格式や階層をものともしない「下町のプライド」みたいなものが自然ににじみだす好演だ。劇中のオペラ歌唱も自身で歌い上げたというから、そのポテンシャルは底知れない。

この作品はキャストに凝っていて、青年がオペラ座で出会うテノール歌手としてロベルト・アラーニャが本人役で出演。ナイトクラブのポップス歌手から転身した自らの履歴を明かして青年を励ますシーンで、文字通りのリアリティーを漂わせている。

指導教師役のミシェル・ラロックは「100歳の少年と12通の手紙」などで知られる大ベテランだが、年輪を重ねても、ちょっと危うい、いかにもフランス的な魅力を漂わせている。

ジティ・ジュニア監督の演出は迷いのない直球で、主要キャストが顔をそろえるオペラ座の大団円に、しっかりと見る者の感情のピークを持って行く。

紆余(うよ)曲折の先が見えていても、最後は思わずウルッとさせられた。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)