市川猿之助被告(47)の初公判が20日に東京地裁で開かれ、証言台に立った猿之助被告は「僕にしかできないことがあるなら、それをさせていただき、生きる希望にしたい」と話しました。
僕にしかできないこととは、それは「歌舞伎」を意味するでしょう。もともと、週刊誌で自身の「セクハラ・パワハラ」が報道されることを知り、「もう歌舞伎ができなくなる」と思い、両親と相談した上で自殺を図ったことを供述しています。「僕にしかできないこと」「もう歌舞伎ができなくなる」という2つの言葉から、猿之助被告の歌舞伎への並々ならぬ思いを読み取ることができます。
市川段四郎の長男として生まれ、4歳で初お目見、7歳で市川亀治郎を名乗って初舞台を踏みました。幼い頃から歌舞伎づけの日々で、文字通り「歌舞伎の子」でした。4代目猿之助を襲名してからはスーパー歌舞伎II「ワンピース」の成功など、観客動員では群を抜きます。
しかし、亀治郎時代に父段四郎とともに叔父の3代目猿之助(2代目猿翁)の一座から離れて、役に恵まれない時期がありました。蜷川幸雄氏が演出した歌舞伎「NINAGAWA十二夜」のロンドン公演に同行した時、ロビーで会った彼に公演への意欲を聞いたら、「僕は主役じゃないので」と冷めた言葉が返ってきたことを思い出します。あり余る才能がありながら、十分に発揮できないもどかしさがあったのでしょう。その雌伏の時があったからこそ、襲名後の快進撃につながったと思います。
求刑は懲役3年で、11月17日に判決が下されます。どのような判決となるか分かりませんが、近い将来、猿之助被告は歌舞伎に戻ってくるでしょう。「澤瀉屋(おもだかや)」一門だけでなく、スーパー歌舞伎などで薫陶を受けた多くの後輩たち、そしてファンが待望しています。猿之助被告の内的な葛藤、復活に対する世間の厳しい目など、いばらの道であることは間違いありません。でも、初舞台を取材し、その後の舞台を見続けてきた記者の一人として、もう1度、「猿之助の歌舞伎」を見たいという思いは強くなるばかりです。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)




