半世紀近く、東京・調布市を拠点にしてきた石原プロモーションが芸能マネジメント業務を終了し、同市内のホールでゆかりの品々を展示するイベント「ありがとう! 石原プロモーション~ありがとう、石原軍団~ 」が開催されている。

「日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞」を共催している関係で、石原プロを訪ねる機会は多かった。11年に健康上の理由で退任するまでは、コマサこと小林正彦専務(36~16年)が同プロを取り仕切っていた。ホテルマンから撮影所勤務、そして石原裕次郎の「大番頭」へと転身したこの名物専務から業界内外の話を聞くのが、毎度の楽しみでもあった。

良く覚えているのが、定期的にマージャン卓を囲んでいたジャニー喜多川さん(31~19年)にまつわるエピソードだ。ジャニーさんが主催、小林専務はゲストとしてこの会に参加していた。硬派の石原軍団とジャニーズはいわば対極の存在だが、だからこそ異なる視点からの「意見交換」に互いに意味を見いだしていたのだろう。

「ジャニーズJr.の子が、お茶を運んだり、いろいろ世話をやいてくれるんだけど、みんなしっかりした子でね、その時々のジャニーさんイチ押しの子なんだな。次にブレークする子をおれらにお披露目するというか、あるいは感想を聞きたいのか。ジャニーさんにはそんなもくろみがあったんだと思うよ」と小林専務は振り返った。

話を聞いたのはTBS系でドラマ「魔女の条件」(99年)が放送されていた頃だと思う。「今ドラマに出ているタッキーっているだろ。彼がお茶を運んでくれたことがあるんだけど、あれは別格だな、オーラが違う。おまけにそつなく、しっかりしている」。

現ジャニーズ事務所副社長、滝沢秀明氏(38)のことである。10代半ばの「タッキー」を「大物」と見抜いた小林専務の眼力を思い出し、引き継がれる芸能メーンストリームの底流のようなものを感じた。石原プロは同市内で石原音楽出版、財団法人ISHIHARAとして引き続き裕次郎さんの版権管理業務を続け、昭和の大スターの偉業を後世に伝えていく。【相原斎】