俳優田村正和(たむら・まさかず)さんが、4月3日に心不全のため、77歳で亡くなっていたことが発覚してから一夜明けた19日、生地・京都の太秦では、正和さんの幼少時代に縁があった地元住民らもしのんだ。

東映京都撮影所のすぐ近くに店を構える喫茶店主は「うちの姉は(田村)正和さんと一緒に幼稚園に通っていた。(姉は)夕方(正和さんの)父親の阪東妻三郎のでっかい家で、かくれんぼをしていたらしい」と、語った。店主自身は正和さんと面識はないが、姉の話として、母から聞かされていた。

母は、正和さんを「マサちゃん」と呼んでいた。その母は「マサちゃん(田村正和さん)テレビ出てる。俳優になったんだ」と話していた記憶があるという。正和さんが役者となり、初めてテレビ出演の番組を見たときには驚いて、こう話したそうで、当時の様子を明かした。

同撮影所は、正和さんら兄弟の父、阪東さんが建てたプロダクションが契機となり誕生。時代劇など、後に多くの名作が生まれていった。付近では撮影中の和装の役者が近所を歩き、地元のなじみの店で飲食をする光景が、よくみられてきた。

正和さんも同撮影所で仕事をしていたが、同店主は「(兄の故田村)高広さんや(弟の田村)亮さんはよくうちに来たが、正和さんは来たことがない」。正和さんは、人前で食事をしないなど、私生活も神秘性をもって語られており「(撮影所の)部屋を出ないことで有名だったので」と、そのエピソードを口にした。

また、撮影所の関係者は「3年前の(眠)狂四郎を最後に表にはあまり出ていなかった。そのときからしんどかったのかな。病気だったのかな」と話した。

この日、近くの太秦映画村を訪れた20代女性は、田村さんの父が東映京都撮影所の前身となる阪妻プロダクションを太秦に建てたことについて「太秦の地が時代劇に大いに貢献したことは揺るがない」と思いを巡らせた。「私くらいの若さでも、古畑任三郎で田村正和さんを知っている」と幅広い世代から愛されていた名俳優の死をしのんでいた。【前山慎治】