【1980年(昭55)3月8日付 日刊スポーツ紙面から】

 

山口百恵(21)三浦友和(28)が11月19日に挙式、百恵は結婚を期に芸能界から全面的に引退することになった。昨年10月20日の恋人宣言以来、愛をエスカレートさせていた百恵、友和は7日午後4時、東京・芝のプリンスホテルで突然の婚約会見を行い、結婚の全容を発表した。挙式は11月19日、午後2時から東京・赤坂の霊南坂教会で行い、披露宴は同6時から東京プリンスホテル「鳳凰の間」で開かれる。媒酌人は友和の育ての親でもある俳優の宇津井健夫妻。ハネムーンは未定。新居は目下建築中の東京・高輪の豪華マンション「ペアシティ・ルネッサンス高輪80」となる。

―結婚を決意したきっかけは

友和 僕の仕事は1つのカケみたいなものですから、ヘタすれば負ける可能性もある。でも命を張っても彼女を守って行く自信が出て決意しました。

―(百恵に)引退を決めた理由は

百恵 エゴかもしれませんが、結婚するからには完璧に近い状態でやって行きたい。(友和さんが)我慢しなければいけないようになるのはイヤなんです。

―友和さんは百恵さんの引退についてどう思う?

友和 彼女は“もし結婚するなら、仕事はやめる気でいた”と言っていました。ただ一時の感情の高ぶりでなく、時間を置いて結論を出してほしい、と僕は言ったんです。彼女は結婚までの腰掛け仕事ではなく、適性も才能もあるので、僕にも(引退させることに)迷いはありました。でも昨年暮れにはっきり“やめたい”と言ったので彼女の意思に任せました。

―プロダクションの反対はなかったのか?

百恵 正直に伝えたら快く受け入れて下さいました。

友和 強引にしたら、こんなに早くはならなかったでしょう。温かく見守ってくれたファンの方々のおかげです。

―結婚までのいきさつを話して下さい。

友和 話せば長いんですが、プロポーズしたのは去年の3月でした。食事のついでに“結婚する気で付き合うよ”と言ったら、彼女も“もちろん”と答えてくれました。冗談じゃいけないので、そのまま彼女の家に行ってお母さんに了承を得ました。

―どんな奥さんになりたい?

百恵 努力を惜しまず(友和さんが)仕事がしやすく、仕事の後で安らいでくれるような女房になりたい。

―婚約指輪はいつもらったのか?

百恵 いただいたのはさっきなんです。石はダイヤで、贈呈式みたいでしたが、すごくうれしかった。この人のお嫁さんになるんだなって実感しました。(と、ようやく表情がほぐれ、うれしそうに左手薬指の指輪を見せた)

友和 ひと月ぐらい前から森光子さんにお願いして探してもらいました(ダイヤの価格のついては答えなかった)

―両親の反対はなかったのか?

友和 まったくありませんでしたが、まだ彼女のお母さんにも(正式に)会ってないんです(ホリプロ堀社長が「礼を失しているのは皆さんに平等にお知らせするため事を隠密に運んだからです。どうかこの事情をご理解ください」と助け舟を出した)

―媒酌を宇津井健さんにお願いしたのは?

まだお会いしていないんです。あらためてごあいさつにうかがいます。

―子供は何人ほしい?

友和 僕は子供が好きだから、多い方がいい。

百恵 私もたくさんいた方がにぎやかでいいと思います。

―新居は?

友和 新聞に出てしまいましたが(本紙既報の高輪の高級マンションのこと)12月に完成するので、僕らと、彼女のお母さん、妹が一緒に住みます。部屋は2つあるので別々です。

―百恵さん、芸能界に未練はないのか?

百恵 未練という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが、一生懸命やって来ました。精いっぱいやったので未練はありません。

―カムバックはあり得ないのか?

百恵 ハイ、そうです(ときっぱり)。