「会いたい」のヒットで知られる歌手澤田知可子(62)が、38年目のデビュー日にあたる10月5日に東京・有楽町のアイマショウで「澤田知可子コンサート~Amazing Songs~」を開く。“泣き歌の女王”と呼ばれる澤田が、38年に及ぶ軌跡を歌い上げる。その思いを聞いた。【小谷野俊哉】
★火が付いたのは有線放送から
コンサート当日は、1987年(昭62)にシングル「恋人と呼ばせて」で歌手デビューした日と同じ10月5日。
「今回はタイトルがアメージングソング、やっぱり聞く方の琴線に訴える世界ですね。“涙は心の処方箋”というように、いろいろなものを流してくれる。本当に素晴らしい、色あせない曲たちが歌い継がれてきています。私の38年間で出会った歌の世界。時代を超えて挑戦していきたいと思っています」
90年6月27日に発売したアルバム「I miss you」からシングルカットした「会いたい」がロングヒット。91年の全日本有線放送大賞グランプリ、そしてNHK「紅白歌合戦」に出場して「泣き歌の女王」と呼ばれた。
「その称号をいただいた時に、なんて光栄なことだろうと。私の人生は『会いたい』のおかげで育ててもらったし、気づかせてもらってきた。『会いたい』を歌っている澤田知可子だからこそ許されるのかな、“泣き歌”っていうことに特化していいのかなと感じています」
累計で130万枚売れた「会いたい」に火が付いたのは、有線放送からだった。
「有線放送のチャートがジワリジワリと上がってきて、発売されて1年ぐらいたってからテレビ朝日の深夜の情報番組『トゥナイト』のエンディングテーマになったんです。そこから91年の秋ぐらいにダーッと伸びたんです」
★OLから歌手へ…人生を変えた先輩
歌手に憧れてはいたが、高校を卒業して地元埼玉の警察署の交通安全協会でOLをやっていた。
「OL時代に新年会で、カラオケパブのステージで杏里さんの『悲しみがとまらない』を歌っていたんです。その時に浦和市役所のブラスバンドの人たちが来て『次の成人式の日に自分たちのブラスバンドの音で歌ってくれないか』ってスカウトされたんです。21歳の時でした。それがきっかけで、バンドでボーカルをやるようになったんです。そこにジャズシンガーの女性がお客さまで来て『あんた、将来何になりたいの?』『いや、まだ決めてなくて。資本金もないし、まだ夢を探してる最中なんですよ』って。そうしたら『資本金は自分の体にあるんだよ。人生勝負してごらん』って」
もう1人、背中を押してくれる先輩がいた。
「当時、バスケットの実業団で活躍している地元のスーパースターだった男の先輩がいたんです。その先輩に『私、本当に真剣に歌手を目指していいんですかね』って言ったら『何言ってんだよ。俺がお前のファン第1号だ』って言ってくれたんです。でも、その3日後に交通事故で亡くなったんです。それで、絶対に思いをかなえようと、真剣に歌手を目指し始めたんです」
87年に「恋人と呼ばせて」で歌手デビュー。その3年後に運命の曲「会いたい」に出会った。
「デビューから3年がたっていたのですが、もしかしたらラストチャンス。これでダメなら、多分レコード会社に捨てられると思った時に『会いたい』っていう歌詞がつながってくれた。亡くなった先輩のことを話したわけじゃないのに本当に奇跡。歌詞の部分から先輩が飛び出てきたような感じでした。その後、たくさんヒット曲が出るかなと期待していたんですけど、紆余(うよ)曲折がありました。そんな中で、今こうやって38周年を迎えさせてもらえるのは、やっぱり『会いたい』との出会いがあったからだと思います」
「会いたい」の作詞は沢ちひろ、作曲はチューリップの財津和夫だ。
「最初に沢さんが歌詞を書いて、そこに財津さんがメロディーを後からつけたんです。そこから歌詞の書き直しが始まって、私に聞かせる前の段階で三十数回書き直しがあったそうです。歌詞をパッと見たらびっくりした。亡くなった先輩のエピソードが偶然、奇跡的にはまっていました」
★オリジナルを絶対に超えられない曲
アルバムの中の1曲だった「会いたい」はシングルカットされて世に出た。
「それまでは、自分が自分で分からないところがあった。バラードが大好き、あと踊れる曲が好きっていうところはあったんですけど。87年のデビュー曲が『恋人と呼ばせて』っていう曲で、私はこういうものを歌っていくんだなみたいには思っていたんですけどね」
95年にピアニストでプロデューサーの小野澤篤(66)と結婚。公私にわたって二人三脚で支え合っている。
「24時間、一緒ですね。彼はオールラウンドプレーヤーで、マネジャー的なこともやってくれるし、アレンジもステージングも全部見てくれる、本当になくてはならない存在。コンサートの選曲でも、私がやりたいことを話して、2人で軌道修正していく。サウンド的な響きで見えている人と、言葉の世界で物語的に見えている私ではやっぱり違う。いい意味で補い合っていると思いますね」
小野澤は、歌手澤田知可子に愛情を持ちながらも、クールに分析している。
「彼女の声は“宝石”だと思う。いろんな方向で行ってもらいたいと思っていますが、もう年齢も60歳を過ぎていますから。とにかくいいものを届けることを考えています。いろいろトライして、今はちょうど熟した、いい時期かなっていう感じですね」
20代、30代、40代、50代、そして今60代で歌い続ける38年間の歌手生活を、澤田は振り返る。
「『会いたい』は、最初にレコーディングした自分のオリジナルを絶対に超えられない。そこと闘うのは、もうやめようと思った。ただ崩すのだけは嫌。どの曲でも、リスペクトを持って歌っていきたい。歌詞を大事にメロディーに忠実っていうのを大切に。そういった意味では、やっぱり自分の歌っていうのは変えてはいけない」
38年がたつ。そして夫との二人三脚で、39年目の1歩目を踏み出していく。
◆澤田知可子(さわだ・ちかこ)1963年(昭38)8月4日生まれ、埼玉県与野市(現さいたま市)出身。87年「恋人と呼ばせて」で歌手デビュー。90年発売のアルバム「I miss you」からシングルカットの「会いたい」が130万枚のヒット。91年に全日本有線放送大賞グランプリ、NHK「紅白歌合戦」出場。95年ピアニストでプロデューサーの小野澤篤と結婚。「会いたい」が00年に「21世紀に残したい泣ける名曲」1位、24年に日本作曲家協会音楽祭でロングヒット賞。167センチ。血液型O。



