政治評論家の三宅久之さんが15日午前8時46分、都内の病院で死去した。病死とみられる。82歳だった。三宅さんは同日午前6時ごろ「トイレに行きたい」と立ち上がった直後に倒れ、病院に搬送された。病院に到着するまで意識があったという。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男彰(あきら)氏。

 三宅さんは10月29日に入院し、今月3日、消化器系疾患で手術を受けていた。8日に退院したが、その後は都内の自宅で療養していた。亡くなる前日14日は、野田首相と安倍総裁の間で衆院解散の約束が固まった党首討論もテレビで見ていたという。秘書は「とても元気だった。その翌日なので信じられない。とても驚いている」と語った。

 べらんめえ口調で、討論形式のテレビ番組では大声で論戦を繰り広げたが、普段は物腰がやわらかく、相手の話をじっくり聞く温厚な性格だった。読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長(86)とは現役記者時代からの盟友だった。テレビ番組では「ナベツネ通信」と称して直筆の手紙を読み上げる役どころもあった。

 80歳を過ぎると重度の糖尿病を患い、声がかすれることが多くなった。今年3月ごろには「私の声が聞き取りにくくなった。視聴者に申し訳ない。政治評論家を引退する」として表舞台から身を引いた。今年10月7日のブログには「この10月初めからステロイドを使うようになって、食欲も出、少し好転してきました」とイスに腰掛け、本を手にする写真を添えていた。

 今年9月の自民党総裁選では、当初評価の低かった安倍氏を「日本を救えるのは安倍くんしかいない」と有志による応援団を結成。応援団長として表立って激励していた。総裁就任翌日の9月27日、チューブつきの酸素吸入機をつけたまま、自民党本部を訪れ、総裁室で握手を交わした。念願だった安倍氏の首相返り咲きを目にすることなく眠りについた。

 ◆三宅久之(みやけ・ひさゆき)1930年(昭5)1月10日、東京都杉並区生まれ。早大第一文学部を卒業後、毎日新聞社へ入社し政治部記者として活躍。政治部副部長、特別報道部長を歴任し、76年退社後に政治評論家に転身。保守派の論客としてテレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」ではレギュラー出演していた。