歴史的一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」は99年オークスを制したウメノファイバーにフォーカスする。府中の長い直線で小柄な牝馬の劇的な大外強襲。当時開業2年目の若きトレーナー、相沢郁調教師(63)の夢が詰まっていた。

99年のオークスで1着となるウメノファイバー(16番)、奥は2着トゥザヴィクトリー
99年のオークスで1着となるウメノファイバー(16番)、奥は2着トゥザヴィクトリー

語り草になっている一戦だ。向正面、3角、4角…、ジッと脚をためていたウメノファイバーが大外を猛追。内で粘るトゥザヴィクトリーをゴール寸前で差し切った。鼻差の大接戦だった。「自分は負けたと思ったんだけど、周りの人たちが勝ったよ、勝ったよって。すごく柔らかい馬で、そう、小さいけど、大きく見えたよね」。相沢師は24年前を昨日のことのように思い出す。「レベルの高い世代だった。トゥザヴィクトリーがいて、プリモディーネも直線がスムーズなら、あの馬が勝っていたかもしれない。正義(蛯名元騎手)がうまく乗ってくれたよね」。4着はスティンガー、5着はフサイチエアデール。名牝がそろっていた。

 
 

京王杯3歳S、クイーンCで重賞2勝の東京。桜花賞6着からの反撃に確信があった。「父を競馬場に呼んでいたんだ。高校の校長先生だった人で、競馬の世界に入ると言ったときは大反対された。獣医になると言って、獣医学部(麻布大学)に行って、獣医師免許も取ったのに、って。調教師になっても認めてくれなかった。でも、オークスの日、府中に呼んだんだ。勝つから来てくれ、って」。

父の博さんは北海道で社会科の高校教師だった。父の異動にともない、小中学生の頃は広い道内を転々としたという。「予科練出身で、鉄拳制裁。怖い父だったけど、あのオークスで一緒に口取り写真に入ることができた。すごく喜んでくれて、『ああ、初めて親孝行ができたなあ』って」。

ウメノファイバーの口取り写真。左から2人目が相沢師の父の博氏(写真提供・相沢師)
ウメノファイバーの口取り写真。左から2人目が相沢師の父の博氏(写真提供・相沢師)

開業1年目、梅崎オーナーに言われ、牧場で2頭の馬を見た。大先輩の調教師が先に1頭を選び、選ばれなかった小柄な牝馬がファイバーだった。「運が良かった。小さかったけど、モノが違ったから」。4歳で引退したウメノファイバーは故郷の斉藤安行牧場で繁殖入りし、一昨年に天国へと旅立った。「子どもは活躍できなかったけど、孫がすごく走るんだ。うれしいよ」と目を細め、「開業してすぐにウメノファイバーやジョウテンブレーヴで重賞やG1を勝たせてもらったけど、本当はG1を勝つのは簡単じゃない。でも、今年のダービー、この血統を買い続けてくれるオーナー(斎藤光政氏)にも恩返しをしたいし、グリューネグリーンに期待しているんだ」。府中の2400メートル、24年前のように勝つと信じて、その日を待っている。【木南友輔】

相沢郁調教師(2022年9月撮影)
相沢郁調教師(2022年9月撮影)

◆ウメノファイバー 96年5月5日、北海道新冠町の斉藤安行牧場生まれ。父サクラユタカオー、母ウメノローザ。鹿毛。馬主は梅崎敏則氏。通算成績16戦4勝。孫のヴェルデグリーンは13年オールカマーなど重賞2勝を挙げ、サンリヴァルは18年皐月賞2着。

※次回更新は安田記念の予定です