船橋古和釜が7回コールド負けで、3年ぶりの夏1勝とはならなかった。
最速140キロ右腕・山口信之投手(3年)が先発したが、6四球と崩れ、8安打6失点と粘れなかった。
打線は4安打に抑えられ、得点は5回に8番会田駿太外野手(3年)の適時内野安打で奪った1点に終わった。
野球ができるだけで幸せだった。背番号「11」の小林有馬外野手(3年)はこの夏、3年間で初めてメンバー入りを果たした。守備固めでの出場を準備していたが、7回コールド負け。それでも「この3年間、まともに野球ができなかったが、悔いなく終われた」と笑みがこぼれた。
2人の兄に憧れ、小2から野球を始めた。だが、少年野球チームの監督をしていた父広明さん(45)は息子の異変に気付いた。「何をしても1歩目が遅い。思い返せば、幼稚園の時から何でもないところで転んだりもしていたな」。
小6の時、視力検査で生まれつき左目が弱視だったことが分かった。
中学でも野球を続け、レギュラーだった1歳上の兄と同じ高校の野球部に入った。しかし、夕方になるとボールが見えない。スピードにもついていけず、看護師の母淳子さん(46)は「ケガで失明するくらいなら、野球をやめる覚悟も必要」と息子を説得した。それでも「兄のように自分も甲子園を目指したい」。意志は固かった。
その後も病気やケガが続いた。高1の10月、上腸間膜動脈閉塞(へいそく)症で食事が取れず、体重が20キロ落ちた。症状が治った3カ月後、高2の10月には尾骨を骨折。いすに座ることができず、クラスで1人だけ立ったまま授業を受けた。
それでも、甲子園への思い、周囲のサポートが心の支えだった。どの部員よりも遅くまで歩行練習やストレッチを繰り返した。今も腰の痛みで守備練習しかできない。1年間バットは握れなかったが「キャッチボールができるだけでも幸せでした」。
将来の夢は母の職業で、2人の兄も目指す看護師。「病気やケガ続きだったこれまでの経験を、仕事に生かしたい」。帰りのバスへ戻る際、父広明さんに「よく頑張ったな」と肩をたたかれると、自然と涙がこぼれてきた。

