DeNAドラフト1位の松尾汐恩捕手(18)と日刊スポーツ評論家の谷繁元信氏(52)が、新旧高卒ドラフト1位捕手対談を行った。後編はミット論、キャッチング論などを語り合った。【取材・構成=久保賢吾】
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谷繁氏は、テーブルに置かれた自身のミットを手にしながら、「谷繁モデル」の裏側を語り始めた。
谷繁氏 オレはいろんな人のミットを使って、最終的に自分のプレースタイル、自分がどうやったら使いやすいかっていうのを追求していったんです。これは誰のモデル?
松尾 広島の会沢選手です。
谷繁氏 あー、会沢ね。オレのはちょっとみんなよりは深いと言われるんだけど、自分では思わないです。これが自分の形だから。今日ね、これをプレゼントします。ベイスターズの後輩ですし、オレ以来の高卒捕手のドラフト1位ってことで頑張ってほしいんですよ。クリスマスプレゼントですね(笑い)
松尾はレジェンドからのサプライズプレゼントに驚き、恐縮しながらミットに手を入れた。
松尾 ありがとうございます!でも、そこまで思ったより深くはなかったです。
谷繁氏 松尾君のも形的には悪くないです。捕ってるところもいいところで捕っています。でも、この網の緩みがあまり好きじゃないので、ちょっと締めるんですよ。ミットの中でボールが先にいってほしくないので。緩める理由は?
松尾 使っていくうちに緩んでいくので…。
谷繁氏 ハハハハハ。じゃあ、締めなさいよ(笑い)。
互いにミットを持ちながら、キャッチングで意識するポイントへとテーマは移った。
松尾 (高校1年秋に)始めたての時はボールを捕りにいったりしていて、思うように捕れなかったので、自分の中で一番楽に捕るってところと腕をあまり伸ばしすぎず、自分の近いポイントで捕るってところを意識してます。
谷繁氏 それは、誰かに教わったの?
松尾 キャッチャー経験のある中村コーチ(元日本製鉄かずさマジック)が来てくださったんです。
谷繁氏 へぇー、いい指導方法だと思います。意識してほしいのは、ピッチャーに「ここに投げたよ」っていうものを知らせる、わからせることです。
松尾 僕は親指の方で捕りたいので、できるだけこっち(親指)側にポケットを作るのを意識しています。基本はひもを締めてますが、今日はたまたま締まってないです(笑い)。
谷繁 親指を意識すると、(捕球時に)ミットが下がらないということはあるね。これは正解ですよ。他に聞きたいことはある?
松尾 実戦を積んでいく中でプロの投手の球には慣れていくものですか?
谷繁氏 そこはすぐ慣れると思います。でも、実戦で何かを得ようとする前に一番やってほしいのは基礎。基礎をたたき込んでからの実戦じゃないと。僕は実戦が先だったのでダメだった。自分のキャッチングがどういうものかつかんでほしいし、スローイングの形も含めて、シルエットで「これが松尾だ」というのを早く作ってほしいです。
捕手で走攻守3拍子そろった能力を評価される中、松尾は新たな捕手像の構築を目指す。
松尾 まずはチームを勝たせられるような選手になりたいですし、その上で、自分のプレースタイルを作り上げて、新しいキャッチャー像を作れるように頑張りたいと思います。
谷繁氏 いいんじゃない、動けるキャッチャーというのはね。捕手のイメージも変わっていく。オレらの時はドカベンとかキャッチャー=そんな感じで、オレもそういうのは嫌だったけど、古田さんあたりから変わってきたからね。ベイスターズをしっかり背負っていけるような捕手になってください。
対談を終え、松尾の隣に立った谷繁氏は、足にペタペタと触れ「太もも回りは厚いんだね」と言った後、異変に気付いた。
谷繁氏 「ズボンがびしょびしょじゃん。めっちゃ、汗かいてるじゃんか。緊張した?」
松尾 はい、緊張しました。
ポーカーフェースを貫きながら、体から噴き出る汗が対談の重みを物語った。
<谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)>
◆生年月日 1970年(昭45)12月21日
◆出身地 広島
◆出身校 江の川(現石見智翠館)
◆身長と体重(プロ1年目時) 176センチ、77キロ
◆高校通算本塁打 42本
◆甲子園成績(2年夏、3年夏に出場) 4試合で15打数4安打、打率2割6分7厘、0本塁打、2打点。
◆主な記録 史上最多の3021試合出場、27年連続本塁打のギネス世界記録、ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン1回
◆日本代表歴 第1回WBCに出場
<松尾汐恩(まつお・しおん)>
◆生年月日 2004年(平16)7月6日
◆出身地 京都
◆出身校 大阪桐蔭
◆身長と体重(ドラフト時) 178センチ、78キロ
◆高校通算本塁打 38本
◆甲子園成績(2年春から4季連続出場) 11試合で39打数15安打、打率3割8分5厘、5本塁打、14打点。
◆主な記録 3年春のセンバツ優勝
◆日本代表歴 中学3年時にボーイズ世界大会に出場、高校3年夏にU-18W杯に出場