関脇若隆景(27=荒汐)が優勝決定戦を制して初優勝を飾った。優勝の可能性があった3力士がすべて本割で敗れる波乱。最後は12勝3敗で並んだ高安を激しい攻防の末、上手出し投げで下した。

新関脇の優勝は1936年(昭11)5月場所、のちの大横綱双葉山以来86年ぶりの快挙。福島県出身力士では72年初場所の栃東以来の優勝。3度目の技能賞も獲得した「下から」の技能相撲で、今度は大関の座を目指して進む。

【千秋楽写真特集】若隆景が初V 高安との優勝決定戦制す 新関脇Vは双葉山以来86年ぶりの快挙

表情ひとつ変えない。12勝3敗で並んだ優勝決定戦。高安を激闘の末に破り、若隆景が賜杯を手にした。少し息をはずませただけ。「うれしいです。(実感は)少しずつ。一生懸命相撲がとれたのでよかったと思います」。花道で出迎えた付け人を務める長兄の若隆元は、目に涙を光らせた。

琴ノ若、高安が続けて敗れ、勝てば優勝が決まる本割の正代戦は完敗だった。しかし、心の乱れを表に出さない。決定戦は高安に攻め込まれた。引いてしまい、一気に出られた土俵際で右膝が「くの字」に折れる。テレビ解説の元小結舞の海秀平氏が「あの体勢から残せる力士はそういない」と驚いたほど。絶体絶命から逆転技を繰り出した。

「今場所は思い描いているものに近い、自分の相撲が15日間とれたと思う」。その原点は「弱さ」にある。小学1年から地元の道場で兄にならって相撲を始めたが、体が小さく圧倒的に弱かった。しかし、心だけは折れない。次兄の前頭若元春が言う。「3兄弟で負けん気というかメンタルは、三男坊が一番強い」。

学法福島高を卒業後は東洋大に進学した。大相撲で通用するか、自信をつかめなかった。東洋大の浜野文雄監督(72)は、その素質を見抜いていた。「膝が強い。持って生まれたものでしょう。膝で体全体を支えるのは難しいが、小さいころから低い立ち合いを身につけていたという。いい素質を持っていた」。実業団か大相撲か、卒業後の進路を迷っていた背中を押したのも浜野監督だった。小さな体を補ったのが強靱(きょうじん)な膝。常に口にする「下から」の攻めは、幼少期から培ったものだ。

福島県出身力士では72年初場所の栃東以来、50年ぶりの賜杯。「震災から11年。一生懸命相撲をとる姿を見せられたかなと思います」。今場所中も大きな地震に見舞われ、実家のちゃんこ店も被害を受けた。いまだ厳しい生活を送る故郷の人たちへ、勇気を届ける初優勝でもあった。

新関脇で12勝。次期大関候補としての地位を確立。「来場所からが大事。またしっかり稽古して自分の相撲がとれるようにしていきたい」。祖父若葉山の師匠でもあった双葉山以来、86年ぶりとなる新関脇での優勝。歴史をひもといた若隆景が、新たな歴史をつむいでいく。【実藤健一】

<若隆景渥(わかたかかげ・あつし)>

◆本名 大波(おおなみ)渥。

◆生まれ 1994年(平6)12月6日、福島市。

◆経歴 福島・吉井田小1年から地元の道場で相撲を始める。信夫中から学法福島。東洋大に進学した。

◆初土俵 16年度の大学選手権で準優勝し三段目100枚目格付け出しの資格を得て17年春場所、兄2人が所属する荒汐部屋からデビュー。

◆順調な出世 18年夏場所、所要7場所で新十両に昇進。19年九州場所、新入幕。21年名古屋場所で新三役(東小結)。

◆相撲一家 祖父は元小結の若葉山、父は元幕下の若信夫。長兄は現在幕下の若隆元、次兄は幕内の若元春で若隆景は3男。

◆しこ名 戦国武将、毛利元就の3人の息子にちなむ。若隆景は3男・小早川隆景から。

◆体格 181センチ、130キロ。得意は右四つ、寄り。