歌っていいな

ちあきなおみ「喝采」にまつわる最愛の人との別れ

今もカムバックを望む声が途絶えません。抜群の歌唱力で多くのファンを魅了したちあきなおみさん。1982年(昭57)に突然、歌手活動を休止。今も活動再開は実現していません。名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第9回は、ちあきさんが72年に日本レコード大賞を受賞した代表曲「喝采」の登場です。

ちあきなおみ「喝采」のジャケット写真
ちあきなおみ「喝采」のジャケット写真

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ちあきなおみさんが表舞台から姿を消し、長い歳月がたつ。1992年(平4)9月11日、最愛の夫だった俳優の郷■治さん(享年55)を、肺がんで失った心の痛手は今でも癒えていない。それでも歌手復帰を望む声は根強い。ちあきさんの人生そのものである、72年の日本レコード大賞曲「喝采」がある限り、その声がやむことはないだろう。

69年(昭44)に20歳でデビューしたちあきさんは「朝が来る前に」「四つのお願い」がヒットするなど順調だった。72年初夏、所属レコード会社の日本コロムビアのスタッフと、所属事務所「三芳プロ」の吉田尚人社長(当時32)が新曲について打ち合わせを行い、「前座歌手時代の苦労を歌にしよう」と決まった。吉田社長は当時、「自伝歌謡は日本にないので、このジャンルでちあきさんと歌謡史を書き換えたい」と考えていた。

しかし、出来上がった作品はいまひとつで、詞も曲も作り直すことにした。吉田社長は、名優が酒におぼれ返り咲く演劇の裏側を描いた1954年公開のハリウッド映画「喝采」(グレース・ケリーがアカデミー主演女優賞を獲得)を見て感動したことを思い出した。「そうだ『喝采』をテーマにしよう」と即決、タイトルも「喝采」と決めた。

ちあきさんは、5歳から芸能活動を行い、中学卒業後、有名歌手の地方巡業に前座歌手として同行していた。巡業は、歌と芝居で構成されることが多く、剣劇スタッフもいた。ちあきさんはそのスタッフの1人で、岡山県倉敷市出身の当時23歳だった青年を兄のように慕うようになった。ところが、九州巡業中、この青年が急死したという知らせを受けた。ちあきさんはまだ15歳。泣きながら前座を務めた。

吉田社長が、作詞の吉田旺氏にこの話をして完成したのが「喝采」だった。歌にする承諾を青年の実家に申し出たが、「亡くなった子を持ちだすのはやめてほしい」と父親から拒否された。ちあきさんも「歌いたくない」と抵抗したが、周囲からの説得もあり、72年9月10日、「喝采」は発売された。当初、“自伝歌謡”という興味が先行したが、ドラマチックな内容と曲調で、発売3カ月で100万枚を突破した。日本レコード大賞も、下馬評では小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が有力候補だったが、「喝采」が大逆転で受賞した。

ちあきさんはその後、郷さんと後に“一卵性夫婦”と比ゆされるほど円満な結婚生活を送った。しかし、幸せな私生活とは対照的に、歌手として「喝采」を超える作品に恵まれず、レコード会社も移籍し、事務所も辞めた。ちあきさんは郷さんと二人三脚で歩みを続けたが、郷さんががんで壮絶な死を遂げ、再び「喝采」の悲劇のヒロインになってしまった。

ちあきと別れた吉田社長は現在、東京・赤坂でステーキ店を経営していた。「ちあきさんとはその後、会っていません。確かにちあきさんは“喝采”の人生を2度も味わいつらいと思う。でも、だからこそ、そのつらさや悲しさを世の中の人のために歌ってほしい。それが歌手の務め、と小さいころから話し合って頑張ったように」と語った。歌手ちあきなおみが再びスポットライトを浴びて「喝采」を歌う日は、いつになるのだろうか。【特別取材班】

※■は金ヘンに英

※この記事は96年11月27日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信します。

「喝采」が収録されたちあきなおみの最新ベストアルバム「微吟」のジャケット写真。19年の日本レコード大賞で企画賞を受賞した
「喝采」が収録されたちあきなおみの最新ベストアルバム「微吟」のジャケット写真。19年の日本レコード大賞で企画賞を受賞した

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