村上淳(44)を筆頭に、映画にこだわる俳優たちが所属する芸能事務所ディケイドが、所属俳優を集結させ、映画研究会で映画を作り続けた日々を諦め、社会人になった、映画を愛する大人の青春映画「AMY SAID エイミー セッド」(村本大志監督)を製作、公開した。映画製作の厳しい現状など、業界の裏側まで描いた“映画のための映画”を企画製作した、佐伯真吾代表取締役がニッカンスポーツコムの取材に応じ、思いを語った。

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 ディケイドは1991年(平3)の設立以降、映画作りにこだわる佐伯氏の下で企画、製作を中心に活動。「AMY-」にも出演した大西信満(42)、渡辺真起子(49)ら、映画に軸足を置く俳優たちが集った。村上の長男虹郎(20)も所属し、河瀬直美監督の14年「2つ目の窓」で俳優デビュー。父子を演じ、そろって世界3大映画祭の1つカンヌ映画祭に参加。塚本晋也監督、瀬々敬久監督をはじめ日本を代表する監督たちは、たとえ出番が少なくとも作品を左右する重要な役にディケイドの俳優を信頼し、起用する。

 「AMY-」は、ディケイドの25年記念作として製作された。映画研究会の仲間だった9人が、会の中心的存在ながら突然、自殺してしまったエミ(柿木アミナ)の、20年目の命日にバーに集まる。パン屋の朝田(三浦誠己)、無農薬野菜の生産農家の飯田(渋川清彦)と直子(中村優子)、キャリアウーマンの美帆(石橋けい)、介護士の五島(松浦祐也)、IT会社経営の木塚(テイ龍進)ら映画作りから離れた面々と、売れない俳優を続ける岡本(山本浩司)が近況を報告し合う。その中、直子がエミが死んだ理由を知っていると語りだしたことをきっかけに、人生、映画への思いがぶつかり合う。

 分かりやすく派手なエンタメ路線の映画ではない。映画への愛をつないでいくための映画を作る、という思い1つで作り上げた。当初は東京・テアトル新宿1館で公開の予定だったが、作品性の高さが買われ東京、大阪、神戸、京都と全国4カ所に公開が拡大した。

 佐伯氏 勝つというのは、興行収入が製作費を上回り利益になること。でも、この企画自体、勝つ試算はしていない。でも…いろいろな理由があって撮ったということ。僕やムラジュン(村上)は80年代に青春を生きてきたから、映画で育てられ、映画の中で育っていったと言うのが正しいんですよ。見ると、メッセージが伝わってくる映画がある…残さなければいけないと思う。メジャーだろうがマイナーだろうが、どうでもいい。やっぱり、お客さんにどうしても劇場に来てもらいたい。間口を1人、2人でも広げていくということが重要じゃないか。

 思いの裏には、11年の東日本大震災後、被災地を回って映画を上映して感じた、映画の力があった。

 佐伯氏 監督、プロデューサー、映画祭関係者…映画屋だけ集まり、実費でロケバスをチャーターし、映画を借りて東北の被災地を回って映画を月1回かける取り組みをやりました。かけた映画は「男はつらいよ」、「幸せの黄色いハンカチ」など…お年寄りやお子さんに見せた時、やっぱり見せるべき映画は、こういうことなんだなと痛感しました。被災しても、映画というものに触れていて欲しかった…そういう思いが映画屋には多分、あったから1年間、行ったんです。

 全国各地にシネコンが広がる一方、一般受けはしなくても作家性の高い作品を評価し、上映していた単館系の映画館は、減少の一途をたどる。規模が小さい映画は上映すること自体、ハードルが高い時代だ。

 佐伯氏 (単館系が)なくなりましたね。渋谷からシネマライズがなくなったのも大きかった。地方では、支配人がちゃんとやっている単館系の劇場は、お客さんも入って残っている印象がある。ただ「AMY-」をかけましょうよと言うのは簡単ですけど、お客さんが入るかというと難しい。全国津々浦々でかけるタイプの映画でもない。映画を作ること、アクションを起こすことで何か1つでもつながっていけばいいなぁと。(シネコンでは)客が入らなければ、打ち切りじゃないですか。でも死守しなければ…伝えなければいけないという思いですね。

 メッセージがある映画を残したいという思いの一方で、事務所の演技派俳優たちを輝かせたいという切なる願いもある。

 佐伯氏 うちの役者は、どこかで役者を頑張ろうと決めた人たち。(業界内に)「ディケイドの俳優はいいと思います」という意見がある。でも現実問題、仕事があったとしても、いい役、いい映画、取りたかった仕事を取れないこともある。知名度がないとか、宣伝に弱いからとか理由はあるけれど、そうじゃないところで、脚本作りの段階から、うちの役者で当て書きしていくことをやろうと。役者のプロモーションビデオではないですけど、1人1人の演技をプロデューサーに見てもらい、仕事をもらうために作った部分もありました。例えば、松浦はずっと頑張ってきて、いい役がなかなかもらえない。その中で、彼にも(役が)1枠あればいいなと。本当に、みんないい役者がいるから見てもらいたいという純粋な思いがありました。

 ディケイドの俳優陣は、企画の大小にかかわらず納得のいく映画に出演する。時には映画専門学校の学生の、卒業制作のオファーも受ける。出演にとどまらずプロデュース的な立ち位置を取るなど、映画製作に深く関わるケースが多い。「AMY-」からは俳優陣の生き様、映画作りにかける夢、喜び、苦悩までにじむ。

 佐伯氏 映画専門学校の卒業製作に僕らが出ることで、学生がうまく次にいけるんであれば…という気持ちがずっとある。ムラジュンや中村はスケジュール、タイミングが合えば、お金に関係なく協力しようという気持ちで、ずっとやってきていて、渋川清彦(43)も同じ気持ちだと思います。多分、そういう人たちが、うちに集まっている。

 次回は佐伯氏と出演した三浦誠己(41)と渋川が作品と映画界の現状について語り合う。【村上幸将】