「漫画トリオ」やテレビ・ラジオの司会者として一時代を築いた元タレント、上岡龍太郎さんが5月19日に大阪府内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていた。00年に芸能界引退後の窓口となっていた米朝事務所が2日、発表した。81歳。本人の意向もあって、ごく限られた身内での密葬は既に行われた。お別れの会なども本人が固辞していたという。

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畏怖。上岡さんは、この言葉がぴったりな芸人だった。レギュラーを無数に抱える中での引退。「鶴瓶上岡パペポTV」最後の収録には、大勢がその才を惜しんで駆けつけた。全盛に近い状況での幕引き。最後まで半信半疑で取材を続け、周辺でささやかれていたゴルファー転向を質問したところ、長時間収録の後だったにもかかわらず、取材後、楽屋へ呼び出され、1時間近く、マンツーマンで絞られた。

人を怒るとは、体力も気力も必要だ。まだ若かった自身の取材姿勢を見つめ直す機会をもらった。天才的な頭の回転の速さで、一時代を築いた上岡さんは、「20世紀」とともに表舞台から、本当に退いた。

だが引退後も、しゃれのきいたコメントに、衰えはなかった。もともと、桂米朝さんに弟子入りしようとしたことがあった。天才と呼ばれた故桂枝雀さんを見て断念した経緯もある。

上岡さんは、その米朝さんの葬儀に姿を見せた。そこで残したコメントが「(米朝という名跡は)永久欠番でしょうね」。急きょ記者に囲まれ、発した言葉。「オレは一般人。小林龍太郎さん、やで」というのが、引退後の口癖。でも当意即妙の切り返しは、やっぱり「上岡龍太郎」だった。

「おまえは、上司が死ね言うたら死ぬんか」。1時間近く絞られた時、繰り返し言われた言葉。時代劇好きで、「義」を大事にした人。自分にしっかりとルールを持って生きることを教えられた。あれから20余年。今は、感謝しかない。【元演芸担当・村上久美子】