05年4月のJR福知山線脱線事故で頸髄(けいずい)損傷し、首から下のまひが残る岡崎愛子(35=日本身体障害者アーチェリー連盟)は、優勝した陳敏儀(中国)に準々決勝で129-132で敗れた。メダル獲得とはならなかったが、強敵相手に大健闘。決勝トーナメント1回戦では大会初勝利も挙げ、充実感を漂わせて大会を終えた。

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強敵相手に堂々と渡り合った。予選に相当するランキングラウンドで断然トップだった陳に、岡崎は一時同点に追い付き、最後まで食らいついた。「自分のアーチェリーをすることに集中した。楽しめた」。さわやかに振り返った。

同志社大2年時、通学途中に脱線事故に巻き込まれた。被害が甚大だった先頭車両に乗車。奇跡的に一命を取り留めたものの、1年以上に及ぶ入院生活を余儀なくされた。退院後も車いす生活を送る中で、アーチェリー経験者だった母の勧めもあり、パラリンピック東京開催が決まった13年に競技を開始。19年世界選手権銅メダルで出場切符をつかんだ。

初出場のパラリンピック。27日のランキングラウンドや翌日の混合団体では「雰囲気にのまれた」と力を出し切れなかったが、「せっかくのこの舞台に立ったのだから、楽しまないと」。迷いを吹っ切り、集中力を研ぎ澄ませた。

関係者が見守るスタンドでは、混合団体でともにパラ出場内定をつかみながら今年2月に60歳で亡くなった仲喜嗣さんの“人形”も応援。「仲さんは大舞台に本当に強く、堂々とプレーしていた。それを思い出しながら、私も堂々とやることを心がけた」。力を与えてくれた元パートナーに感謝した。

パリ大会などを見据え競技を続けていくかについては明言を避けたが、「アーチェリーは重度の障がいがあってもできるスポーツ。競技人口を増やしていければ」と力を込める。運命を変えた出来事から16年の歳月が経った。「事故のことをなかったことにしたいわけではなく、得られたものはいっぱいあった。1つ1つの経験を伝えていければ」。パラリンピアンとして、競技の魅力をさらに広めていく。【奥岡幹浩】

◆岡崎愛子(おかざき・あいこ)1986年(昭61)1月10日生まれ、大阪府池田市出身。小学校ではテニス、中学ではソフトボールを経験。高校以降は自宅の愛犬とフライングディスクドッグ競技で全国大会出場。同志社大商学部2年時にJR福知山線脱線事故に遭い、負傷者最後の退院患者。卒業後、08年ソニー入社。14年に退社し、犬のケアに関する仕事を起業。13年冬に母の勧めでアーチェリーを開始。19年パラ世界選手権銅メダルで、東京パラ出場権を獲得。今大会は個人と混合団体の2種目に出場。8月28日の混合団体では初戦の準々決勝で敗れた。