元ヴェルディ川崎(現J2東京ヴェルディ)GKで93、94年のリーグ連覇を支えた藤川孝幸さんが15日に亡くなったことが20日、分かった。56歳だった。

元日本代表DFの都並敏史氏(57)は、藤川さんの死が公表されたこの日、千葉県内で関東1部ブリオベッカ浦安の監督就任会見に臨んだ。会見後「すごく苦労をかけた。あいつの人生、狂わしちゃったかな」と言い、目を潤ませた。

04年にJリーグの監督ができるS級ライセンスを取得した都並氏は翌05年、ベガルタ仙台の監督に就任。その新人監督をコーチとして支えたのが藤川さんだった。1年で解任されたが、07年に当時J2のセレッソ大阪の監督に就任。藤川さんもコーチを買って出たが、開幕から3連敗で解任された。指導者のキャリアは、96年から指導者畑を歩み続けた藤川さんの方が上で、都並氏は「他で仕事があったのに無理に来てもらった。新人監督で、指導者としては藤川の方が経験があった。彼に支えられた」と感謝した。

藤川さんとはこの1年、ずっと連絡を取り続けてきたが、最後に面と向かって話ができたのは9月12日、都内のホテルだった。14年からテクニカルディレクターを務める浦安からの監督のオファーを受ける意思を伝えた。そしてセットプレーの指導が得意な藤川さんに教えを請うと、「頑張れ、やらなきゃダメだ」と励まされたという。

都並氏は会見で17年以来のJFL昇格を目標に掲げた。その裏には藤川さんへの思いがあった。「藤川に背中を押されている感じがします。『しっかりやれよ。お手並み拝見…今度は独りだぞ』って」。空に上った盟友に、固く誓った。【村上幸将】