Jリーグは5月15日に30周年の記念日を迎える。30年前の開幕節と同じ鹿島アントラーズ-名古屋グランパス戦が14日、東京・国立競技場で行われる。鹿島のエースとして当時ハットトリックを決め、Jリーグ人気の起爆剤となったのがジーコ氏(70=鹿島クラブアドバイザー)。その「神様」が日本サッカーの思い出を振り返り、次の30年ではW杯の決勝に勝ち進むことを期待した。

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Jリーグで初めてハットトリックの歴史を刻んだのは、元ブラジル代表のジーコ氏だった。今も開幕の名古屋戦は鮮明に覚えている。

「あのハットトリックは日本のプロサッカーが発展していく上でも、非常に大事な意味があったと思う。対戦相手の名古屋にはリネカー(元イングランド代表)がいた。世界からすれば、リネカー対ジーコ。日本国内外で注目されていた試合。世界的にも、日本のサッカーのためにも意味があったと思う」

「ハットトリック」の言葉を知ったのは来日してから。

「ブラジルではビッグ選手が1試合複数点は当たり前で、3点取ることにそこまで重要な意味はなかった。私の現役時代はそこまで聞くような言葉ではなかった。逆に今、ブラジルでハットトリックが、私の時代より大きく取り上げられるようになっている」

来日したのは、Jリーグが始まる2年前の91年。一度、現役を引退していたが、当時の日本サッカーリーグ(JSL)2部の住友金属が「プロ化して、クラブとしても発展していきたい。ぜひ計画に参加してほしい」との熱烈オファーに賛同。現役のフィジカルを整えた上で、人口4万人の鹿島町(現在は鹿嶋市)にあるクラブに来た。

「私が来日した当初、東京に住んで鹿島と行き来していた。東京で鹿島に行かない日の練習場を探したが、見つけることができなかった。当時の日本は野球、テニス、ゴルフが主流。練習場は、野球場ぐらい。野球場で練習していると『ボールが飛んでくるから危ないぞ』と、言われて気を付けながらやっていたのを覚えている」

Jリーグの創設と同時に、サッカー人気に火が付き、選手人口も増えていった。06年、日本代表監督を終えてブラジルに帰国する際、来日当初に練習していた場所を訪れた。そこで目にしたのは、10面以上あるサッカー場だった。

「サッカーが浸透していることを感じたし、子供たちにとって選択肢の中に含まれたと思った。日本のサッカーは、私が想像したより早くこの30年で発展した。多くのサッカー人口を生むことができたから、早かったと思う」

現在のJリーグは、有望な若手が海外に移籍しチーム作りのサイクルが早い。ジーコ氏の母国・ブラジル同様、代表選手の大半が海外でプレーしている。その中でJが発展していくために、こう持論を述べる。

「今、日本の選手は、欧州からすると安く見えてしまう。自国の若い選手をいかに欧州に流出させないが課題。Jリーグとクラブが協力し、有能な選手をいかに流出しないかに取り組まないといけない。あとは、次の世代の選手にバトンを渡すタイミング。各クラブの下部組織がいい選手を輩出していくこと。下部組織の選手を1人でも多くトップでプレーできる選手を育てていくことも大事だ」

Jリーグ創設当初は、ジーコ、リネカー、リトバルスキーら世界の代表クラスが来日してプレーした。現在は、神戸のイニエスタはいるが、代表戦士の数は減ってきている。ジーコ氏は、代表クラスの外国籍選手、優秀な外国籍監督を招聘(しょうへい)することも、リーグ発展に寄与すると語る。

住友金属時代からクラブハウスなどの「ハード面」、プロ選手としての在り方の「メンタル面」を伝えてきた。鹿島を含め、各クラブは地道に計画を立て、プロにふさわしい環境を整えていった。その姿を目の当たりにし、日本人の長所は「計画をしっかり遂行していく力」と評価する。

この30年で、フランス大会から7大会連続でW杯に出場。Jリーグの歴史とともに日本代表も強くなった。

「日本の発展は、この30年を見ても素晴らしい。W杯を見れば分かる。スペイン、ドイツと同グループで1次リーグを突破している。次の30年での役割は、W杯決勝に行くこと。浦和、鹿島はACLで優勝し、世界を相手にした大会で決勝に進んだ。日本代表として決勝に立つことが、今後の日本サッカーの役割になると思っている。そのために、下をしっかり強くしないといけない」

日本のサッカーの進歩は、自身の想像を超えるスピードだったと振り返る。先人たちが築いた歴史を継ぎ、Jリーグはさらなる未来へと歩む。【岩田千代巳】

◆93年5月16日の鹿島-名古屋戦VTR 県立カシマサッカースタジアムでジーコとリネカーの10番対決が実現。ジーコは前半25分、豪快な右足ミドルシュートで先制すると、同30分には得意のFKも決めた。後半8分にはアルシンドのゴールをアシストすると、後半18分にはアルシンドのクロスを左足で決めてハットトリックを達成した。アルシンドの追加点もあり、5-0と大勝した。

◆ジーコ 1953年3月3日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身。本名・アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。名門フラメンゴでトヨタ杯優勝。イタリアのウディネーゼでもプレー。ブラジル代表71試合48得点、W杯には3回出場(78年4位、82年2次リーグ、86年8強)。鹿島で93年第1ステージ優勝、94年に引退。02年7月に日本代表監督に就任し、06年W杯ドイツ大会は1次リーグ敗退。トルコの名門フェネルバフチェ、イラク代表などでも監督を務めた。