12月27日から大阪・花園ラグビー場で行われる全国高校ラグビー大会は第100回を迎え、すでに9月から各県の予選がスタートしている。今年の全国大会は記念大会として、例年より12校多い63校が参加。近年は私立全盛の時代が続くが、出場のチャンスが増えた公立進学校に焦点を当て、3回にわたり連載する。最終回は進学校で大阪府立北野高校を紹介する。

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あの冬、部員はゼロになった。創部90年を超える北野(大阪)は5年前、3年生が2人。15年春に赴任した橋爪宏和監督(56)は何度も1年生の教室へ向かったが、入部届は提出されなかった。「『また橋爪来よった』『先輩2人で寂しいし違う部活にしよう』という空気でした」。秋の大阪府予選後に3年生が引退し、部は休部状態になった。

16年3月の合格発表日。橋爪監督はラグビーブランドのカバンを持った中学生を見つけ「ラグビーをやらへんか?」と声をかけた。うなずく様子に心の中でガッツポーズした。1年生4人が入部し、翌年には計10人に増えた。

18年春、当時1年生のSH野沢朋仁主将(3年)は上級生から「北野の夢をかなえよう」と勧誘された。小1からラグビーに打ち込み、楠葉中では1学年上の世代を代表する帝京大NO8奥井章仁(1年=大阪桐蔭)の後輩だった。進路選択時、文武両道を実現できる北野の受験を決意した。

「化学が好き。勉強も頑張りたい。将来ははっきり決めていないけれど、化学、生物系の研究をしたい」

同学年の8人を巻き込み、秋は10年ぶりに単独チームで大阪府予選に出場。OB会からは伝統の紺のジャージーを寄贈された。全国高校大会には42年(同年は関西、九州大会で実施)優勝など6度出場。花園16強入りを果たした87年度は当時3年生の橋下徹元大阪府知事(51)らが、3回戦で伏見工(現京都工学院)相手に12-16と激闘を演じた。野沢は伝統を実感した。

「秋の公式戦の時にはずらっとOBの方々が並んで、話をしてくれる。そうやって、今につながってきたんだと思います」

今春は橋下氏の三男・環(たまき)ら新入生10人が入部。選手は24人となった。野沢は京大薬学部志望。それでも午前4時半に起床し、7時からグラウンドで個人練習を始める。放課後の練習を終えて、帰宅するのは午後7時半。予備校には通わず、そこから3時間の勉強を毎日続けてきた。

「クラブは高3でしかできない。勉強はいつでもできる。僕の考えは両方を頑張る。ラグビーを秋までやって、現役で受かるのが一番いいと思っています」

大阪府予選の1回戦は相手校が棄権し、18日の初戦で近畿王者の東海大大阪仰星と戦う。野沢は6月の時点から「最後に強いところと当たるまで勝ちたい。普段できない強豪を相手に、どれだけ通用するかを確かめたい」と誓ってきた。

部のどん底を知る橋爪監督は、北野でラグビーを続ける価値をこう語った。

「ただ勉強だけして、志望校に入っても面白くない。それは北野の務めではないと思います。北野はリーダーを養成する場所。クラブも一生懸命頑張り、勉強もして志望校に行く。北野のラグビー部はそうやって、社会に人材を送り出す」

大阪の公立校による花園出場は96年度の島本が最後。私学全盛の時代に、文武両道の足跡を刻む。【松本航】

 

◆北野 1873年(明6)創立の伝統校。ラグビー部は「北野中」だった1923年(大12)創部。全国高校大会は42年(同年は関西、九州大会で実施)優勝など6度出場。OBはドラマ「ノーサイド・ゲーム」で浜畑譲役を演じた元日本代表主将広瀬俊朗氏ら。同校からは昨年度東大に11人(現役9人)、京大に100人(同72人)が合格。