大相撲で「おしん横綱」と呼ばれた第59代横綱隆の里の鳴戸(なると)親方(本名高谷俊英=たかや・としひで)が7日午前9時51分、急性呼吸不全のため、九州場所(13日初日)で滞在していた福岡市内の病院で死去した。59歳。青森市出身。自宅は千葉県松戸市八ケ崎8の14の7。葬儀・告別式は未定。7日夕には福岡市内で部屋主催のお別れの会が開かれ、関係者が参列した。

 鳴戸親方は10月下旬からの週刊誌上で過去の暴行疑惑が浮上。弟子を角材で殴打したり、チェコ出身の十両隆の山に体重を増やす目的でインスリンを注射したりしたと報じられ、日本相撲協会から事実関係の調査を受けていた。

 親方が死去した病院によると、6日夜に体調不良を訴えて入院し、ぜんそくの治療を受けていたという。相撲協会は部屋の今後や週刊誌報道の調査などについて、8日に福岡市内で緊急理事会を行う。

 “土俵の鬼”と呼ばれた元横綱初代若乃花の二子山親方にスカウトされ、1968年名古屋場所で初土俵。筋骨隆々の体は「ポパイ」の異名を取り、右四つからの上手投げや寄りは力強かった。一方で糖尿病に苦しみ、同郷で、同じ夜汽車に乗って上京した元横綱2代目若乃花(現間垣親方)に出世で後れを取った。

 しかし、食事療法などで治療しながら、82年秋場所で初優勝を全勝で飾ると、83年名古屋場所で2度目の優勝。場所後に30歳9カ月の遅咲きで最高位に昇進した。初土俵から所要91場所は史上2位のスロー出世で、苦労の末に成功をつかんだ。優勝は通算4回。千代の富士(現九重親方)に対戦成績で16勝12敗と勝ち越したのも光った。

 86年初場所で現役を引退し、年寄「鳴戸」を襲名。89年2月に二子山部屋から独立し、部屋を創設した。厳しい稽古は角界随一で、九州場所で大関昇進に挑む関脇稀勢の里関や元大関候補の幕内若の里関らを育てた。今場所は関取4人を含む17人の力士を抱えていた。