「ビッグ・パピ」が連れて帰りたがった日本選手とは?04年日米野球でのオルティス手記

1月に米殿堂入りを果たした「ビッグ・パピ」ことデービッド・オルティス氏。日米野球で来日した2004年当時の手記が見つかりました。陽気な性格そのままの言葉たちをどうぞ!(2004年11月15日掲載。所属、年齢などは当時)

ウイラブベースボール

日刊スポーツ


全部勝つつもりでやってきたから、どの試合も本気モードで戦った。3つ続けて負けた時は悔しくて仕方なかった。昨日(13日)名古屋から移動してくる新幹線の中で「明日は最後の一戦だ。死力を尽くして戦おう。そして絶対勝とうぜ!」とみんなで気合を入れあって東京に着いたんだ。

2004年11月6日、日米野球第2戦、4回裏全米1死、D・オルティスは右翼にソロ本塁打を放ち、天を仰ぎ生還

2004年11月6日、日米野球第2戦、4回裏全米1死、D・オルティスは右翼にソロ本塁打を放ち、天を仰ぎ生還

日本の野球のレベルが高いことはイチローや松井(秀喜)を見ていてわかっていたが、今回、実際に対戦してみて、それ以上のものが肌に伝わってきた。全日本のメンバーの中から1人メジャーに連れて帰っていいと言われれば、僕は迷わずアカホシ(赤星)を選ぶ。あのすばしっこさ。打ってよし、走ってよし、守備だってスーパーだ。彼のプレーにはイチローを連想させるところが多かった。アカホシは小柄だから最終戦が終わった時、さらって僕のスーツケースの中に入れてボストンに持って帰ろうと思うほどの衝動に駆られた。明日からでもメジャーで通用する。太鼓判だね。

04年11月、日米野球第8戦 全米対全日本 デービッド・オルティスに「大リーグに来るときはボストンに来いよ」と声をかけられ別れのあいさつをする赤星憲広(撮影・加藤仁)

04年11月、日米野球第8戦 全米対全日本 デービッド・オルティスに「大リーグに来るときはボストンに来いよ」と声をかけられ別れのあいさつをする赤星憲広(撮影・加藤仁)

僕自身、今年は激しいポストシーズンを戦い抜いてきた。ちまたでは「バンビーノの呪(のろ)い」がどうだこうだと騒いでいたけど、僕たちは脇目もふらずただひたすら勝利に向かって突き進んだ。世界一を手にできたのはクラブハウスの気持ちがガチッと結集した結果だったと思う。そのあとパレードや祝賀会が続き、全く休む間もなく日本にやってきたから、正直、身も心も疲れ切っていた。

でも、12日間の滞在中、この国の人々の優しさ、親切心などに触れ、そんな疲れはどこかに吹き飛んでいた。そういう日本のファンのためにも何とかもう1本打ちたいと思って今日の試合に臨んだ。試合前にイチローが飲んでる栄養ドリンク(ユンケルスター)を飲んで気合を入れて打ったんだ。最後に打ててよかった。ペドロ(マルティネス)にもそれをおみやげにバッチリ買い込んだから、これでまたエネルギーを補給して頑張るよ。

最後に心から日本と日本のファンに「アリガトウ」を言いたい。君たちは最高だ! 本当に楽しかった。アディオス。また会おう!ビッグパピー

2013年10月13日、タイガース戦の8回に同点満塁本塁打を放つオルティス

2013年10月13日、タイガース戦の8回に同点満塁本塁打を放つオルティス

○…オルティスが最終戦で待望の第2号を放った。4回の第2打席。井川が3球続けて変化球を投げた後、4球目の甘く入った直球を流し打ち。左中間スタンド最前列に運んだ。6日の第2戦は右翼の照明付近まで飛ばす160メートルの豪快弾だったが、この日は巧みなバットコントロールを披露。「第1打席は速球でやられた(三振)から、今度はオレがお返しした」と強気なところを見せた。8回の最終打席も大飛球を放ったが中堅フェンス手前で失速。「悪くないね。勝って気持ちよく帰れる」とご機嫌でバスに乗り込んだ。

◆デービッド・オルティス

1975年11月18日、ドミニカ共和国生まれ。92年マリナーズ入団。97年、ツインズでメジャー初昇格。03年からレッドソックスでプレーし開花。04、07、13年に世界一となった。通算20年間で2472安打、541本塁打、1768打点。打点王3度、本塁打王1度。レ軍時代の背番号「34」は永久欠番。現役時代は193センチ、104キロ。