【27年前の今日:1995年6月3日】すべての道は野茂英雄に通ず 7度目の正直メジャー初勝利 

ダルビッシュ、大谷翔平、鈴木誠也…。活躍を続ける日本人大リーガーのパイオニアは、もちろんこの人でした。野球界の名シーンや思わぬトラブルをカレンダーとともに振り返る「●年前の今日」。野茂英雄氏が大リーグ初勝利を挙げたのは1995年6月3日でした。(95年6月4日掲載。所属、年齢などは当時)

傑作選

加藤裕一

【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)2日(日本時間3日)】ドジャース野茂英雄投手(26)が大リーグの歴史に自らの名を刻み込んだ。7度目の登板となったメッツ戦で初勝利をマーク。日本人ではサンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則以来30年ぶりの快挙だ。完投こそ逃したものの、8回0/3を123球、2安打1失点の堂々たる内容。奪三振55個は依然ナ・リーグのトップで、米オールスター出場の可能性も出てきた。

◇米大リーグ(2日・ロサンゼルス、ドジャースタジアム)

メッツ………010000000 -1

ドジャース…01000100X -2

【メ】セイバーヘーゲン、ダポト-ハンドリー、カスティーロ

【ド】野茂、ウォーレル-プリンス

(勝)野茂1勝1敗(S)ウォーレル5S(敗)セイバーヘーゲン1勝2敗(本)ボニーヤ(メ)8号、カロス(ド)9号

マッシー村上から30年

ラソーダ監督が駆け寄り、野茂を抱きかかえる。そして野茂のほおに熱いキス。野茂がベンチを出ると、エースのマルチネスが後ろから頭をたたいてくる。試合を締めくくったストッパーのウォーレルを出迎え、固い握手を交わす。

「うれしい。そのひと言しかありません」。あまりの感激に言葉が出てこない。声も震えている。

総立ちのスタンドから大きな拍手が降り注ぐ。最高のプレーをした選手にだけ贈られるスタンディングオベーション。照れ屋の野茂が晴れやかな笑顔でファンに軽く帽子を振る。

7度目の挑戦で手にしたメジャー初勝利。この日のために海を渡った男は、ついに夢を実現した。東洋人選手としてはメジャー史上初の先発勝利。日本人選手でも、リリーフで5勝を挙げた村上雅則氏(元SFジャイアンツ)以来、実に1万837日ぶりだ。

ベンチとファン、一体の歓喜。紙面フロントを飾った1枚(撮影・鹿野芳博)

ベンチとファン、一体の歓喜。紙面フロントを飾った1枚(撮影・鹿野芳博)

野茂にとって、生涯忘れられない1勝は、幕切れも劇的だった。メッツ最後の打者となった代打シーギーの一打は、一、二塁間を破ろうかという当たりだったが、デシールズが横っ飛びしてキャッチ。すぐさま一塁に送球する超ファインプレーで勝利が決まった。ベンチで祈るような気持ちで見守った野茂にとっては、苦しんだ分だけ喜びも大きかった。

8回0/3を123球、2安打1失点

最優秀投手に贈られるサイ・ヤング賞、最多勝に輝いたメッツのセイバーヘーゲンに投げ勝ったのは、これ以上ない勲章だ。同投手は対ド軍戦6戦全勝だったが初の黒星。

野茂は「調子はあまり良くなかった。結果は良かったけど、相手打者に助けられた投球でした」と言うが、8回0/3で2安打1失点は立派。

走らない速球と、落ちないフォーク。奪三振は通算55個まで伸ばしたが、この日は6個だけ。それを四死球4と投球テンポの良さでカバーした。

この人なくして野茂英雄なし。試合後、ラソーダ監督とテレビ出演(撮影・鹿野芳博)

この人なくして野茂英雄なし。試合後、ラソーダ監督とテレビ出演(撮影・鹿野芳博)

3月3日、ベロビーチキャンプから3カ月。野茂は孤独と闘い、克服した。英語を話せず、渡米当初は「イエス」と「ノー」の連発。

それだけではスラング(俗語)が飛び交うベンチのムードに溶け込めず、「グレート」の使い方を覚えるなどして溶け込む努力をしていった。

ロッカールームでの過ごし方もコンパクトCDプレーヤー一本から、昼寝にトランプ……。

ラソーダ監督「彼を誇りに思って」

近鉄時代から悩まされている右手中指先の血マメも、投球練習でフォークを減らすなどして、克服した。

そんな野茂に球団は初勝利が決定的となった9回にシャンパンを用意。ラソーダ監督は「世界中の日本人は彼を誇りに思っていい」と拍手を送った。

7試合で野茂が奪った三振55個はナ・リーグのトップ。「プロだから、お客さんを魅了できる選手になりたい」と言う野茂。この日の勝利で日本人初の米オールスター出場も夢ではなくなった。