「タックルが苦手」と話した元日本代表正面健司 37歳泥臭く燃え尽きるまで

ラグビー元日本代表の正面健司さんが、ひっそりと現役を退きました。37歳。東海大仰星高、同志社大、トヨタ自動車、神戸製鋼、近鉄。華やかなラグビー人生でしたが、最後のシーズンは出番がないまま終えました。引退会見もなかった元スター選手の心に、担当記者が寄り添いました。

(2021年4月29日掲載 所属、年齢など当時)

ラグビー

益子浩一

<コラムセレクション>


かつてのスター選手は、現役最後の試合を客席から見届けた。高校時代から幾度となく観衆を沸かせた花園ラグビー場。大阪に3度目の緊急事態宣言が発令されたその日は、観客はまばらだった。25日のトップリーグ(TL)プレーオフトーナメント2回戦。近鉄は強豪パナソニックに後半6トライを許し7-54で敗れた。チームの今シーズンが終わったと同時に、引退を決めていたその選手の現役生活も静かに幕を閉じた。

引退会見はないという。せめて最後に記事を書きたくて、近鉄のWTB正面健司(37)に電話をかけた。

「引退する選手がスタメンで出ているのを見ると『いいなあ』とは思いますよ。でも、今の自分は試合に出られるレベルではなかったです。まして真剣勝負のトーナメントで、消化試合じゃないんでね」

駆け出しの記者の頃、京田辺市にある同志社大学の練習場によく足を運んだ。東海大仰星時代、1年生WTBとして全国制覇。同大でも1年から活躍していた彼が「タックルは得意じゃないんです」と話していたのを、覚えている。この日も17年前と同じように「タックルが苦手やったんでね」と言いつつ、こう続けた。

「30を過ぎた頃から脳振とうが多くて、頭痛が残るようになったんです。手もしびれるようになって、それから思い切りタックルに行けなくなってしまった」

05年関西大学ラグビー トライを決める同大WTB正面健司

05年関西大学ラグビー トライを決める同大WTB正面健司

大学時代はドレッドヘア、TLではイナズマのヘッドキャップがトレードマークだった。それはタックルが苦手だという男が、果敢にタックルに入る覚悟のようなものだったのかも知れない。今年1月の脳振とうで復帰が遅れ、ふくらはぎのケガも重なった。高校、大学、TLで花園を沸かせたスターは、今季は1度も出場機会が訪れなかった。出番はないと分かっていても、最後の姿を目に焼き付けたかったのだろう。花園には、両親が駆けつけていた。

大学の同学年で、神戸製鋼でも一緒にプレーをした山本翼(38)は、子供が同じサッカーチームに所属していることで今でも週に1度は顔を合わせる。ポジションは正面が華やかなWTBなら、山本はスクラム最前線のプロップ。無名の芦屋高校から1浪して同大の門をたたいた努力家の山本にとって、正面は同世代の憧れの的でもあった。

「彼は僕らのスターですから。でもスターやのに、偉そうにしているのは見たことがない。プレーも人間性も素晴らしかった。バックスで37歳まで第一線でやるのは、かなりスゴイ。最後、試合に出ているのを見たかったです」

誰よりもうまく、どこまでも器用な選手だった。ただ、その器用さゆえに日本代表には定着できなかった。高校も大学も社会人も、1年目からレギュラー。本来、SOが定位置だが、どの監督にも、すぐに試合に使いたいと思わせる天才的な能力があり、司令塔としてチームに融合する前にWTBやFBで起用された。

当時、東海大仰星の監督だった土井崇司(現東海大相模校長)は、こんな話をしている。

「能力も高い、足も速い、何でもできる。SOで入ってきたけど、WTBで目立ってしまって『正面=14番』になった」

01年全国高校ラグビー トライを決める東海大仰星WTB正面健司

01年全国高校ラグビー トライを決める東海大仰星WTB正面健司

ただ、進学する際、土井は同大の首脳陣に「日本のSOになる逸材。SOで育ててくれますか」と頼んだ。同大1年時の02年10月13日の韓国戦で、日本代表として初キャップを得る。当時、代表を率いていたのは向井昭吾監督で、土井とは同じ東海大の出身。その時も土井は、向井に連絡を入れている。すると「それなら、日本のSOに育てましょう」と返事をもらい、代表デビューの韓国戦はSOとしての起用だった。だがチームに戻るとやはりWTBやFBで使われ、SOには定着しなかった。土井は「SOやったら多分ずっと来ていた(代表で活躍した)と思う」と漏らしている。

それでも本人は、歩んできたラグビー人生に後悔はないという。

「未練は全然、ないです。高校も大学も社会人でも1年目から試合に出してもらって、ほぼ先発。32歳くらいからリザーブ(控え)になったり、メンバーから外れたり。その時は少しネガティブになりましたけど。(19年に)神戸製鋼をクビになって、1回死んだ身になって。その時に『残りの現役生活は楽しもう!』と思ってやってきました」

高校時代に花園で全国制覇1回、8強が2回。同大では大学選手権4強が3回で、遠ざかっていた決勝に最も近づいた世代だった。トヨタ自動車、神戸製鋼から近鉄と、常に第一線で活躍した。思い出に残る試合を問うと、意外な答えが返ってきた。

「7人制日本代表として出場したアジア大会(10年11月)で、金メダルを取ったことです。決勝戦(日本28-21香港)で、レッドカードが出て6人になってしまったのに勝てた。普段、感情を出さない僕が大きなガッツポーズをして、大号泣したんです。あれが1番かなあ」

静かな口調で、当時を思い出すように話していた。電話の向こうでは、ボールを蹴る音が響いている。聞くと、愛息のサッカーの練習を見ているという。自分がしてきたラグビーを無理にさせないところが、いかにも正面らしかった。

「僕、四柱推命で占ってもらったことがあるんです。そうしたら『あなたは、ラグビーには向いていない』と言われたんですよ。子供には本人がやりたいと言えば、ラグビーでも全力で応援します。僕に似て、向いていないかもですが」

近鉄が敗退した前日、ヤマハ発動機もクボタに敗れ、今シーズンが終わった。同じく引退を表明していた元日本代表のFB五郎丸歩もまた、客席で試合を見ていた。大学ラグビー界が生んだ2人のスターは、グラウンドに立つことなく現役生活に別れを告げた。

正面は心から言う。

「ずっと、楽しかったです」

もう少し早く、余力を残したまま身を引く道もあったかも知れない。

ただ、タックルが苦手だった男は、それでも果敢にタックルに入り、燃え尽きた。華麗に見えた選手の最後は、体の限界まで戦い抜いた、泥臭い姿だった。(敬称略)

◆正面健司(しょうめん・けんじ)1983年(昭58)5月1日、大阪・守口市生まれ。守口四中(樟風中に統合)時代に競技を始めるもラグビー部は廃部。バスケットボール部に入りながら、週末だけ大阪ラグビースクールに通う。東海大仰星(現東海大大阪仰星)から同大に進学。社会人は社員契約で06年にトヨタ自動車入り。09年にプロ契約で神戸製鋼に移り、19年から近鉄。日本代表は向井体制の02年10月13日、カーワン体制の06年11月25日(ともに韓国戦)に出場し、キャップ2。175センチ、85キロ。

11年ラグビートップリーグ ディフェンス陣を突破して前進する神戸製鋼FB正面健司

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