競泳女子200メートル平泳ぎの金メダル候補、金藤理絵(27=Jaked)は広島・山内小6年時に「20才か24才の自分に」と題した卒業文集をつづった。「オリンピック」の文字こそ隠しながら、20歳と24歳の「わたし」へのエールを書いた。だが現実は厳しく、08年北京五輪に出場したが、12年ロンドン五輪は代表漏れし、何度も引退を決意した。それでも周りの支えを受け、9月に28歳を迎える「わたし」は10日(日本時間11日)のレースで大きな夢をつかもうとしている。

 結婚式場に場違いな音声が響いた。「金藤は4位!」。自らが泳いだ世界選手権の実況音声に、金藤は言葉を失った。スクリーンに三次スイミングクラブの旧友、三次高の友人や先輩が映し出される。全て自分へのエールだった。そして二人三脚で練習に励む加藤コーチの訴えもあった。

 「オリンピックという場で生きさせてもらっている。そこの場で一緒に生きることができてうれしかったし、次の目標が厳しく、ダメかもしれないけれど、頑張ってほしい」

 涙があふれ出た。13年11月末に広島で開かれた姉由紀さんの結婚式。主役で3歳年上の姉が、自分へのサプライズを用意していたのだ。約4カ月前の世界選手権で4位に終わり、金藤は両親へ「やめる」と引退宣言。反対の父宏明さん(61)とは音信不通だった。小学校6年時の卒業文集に記した「金メダル」は、その時点で消滅しかけていた。

 映像が流れ終わると由紀さんが告げた。「お父さん、お母さんは、いつもうれしそうに理絵の応援に行っていた。だから、人生の金メダルを贈りたいと思います」。由紀さんは事前告知せず、驚く両親へメダルを手渡し。金藤はそれを両親から受け取った。姉が手作りしたメダルには「どんな時も上を向くひまわりのようによく頑張りました」と記されていた。涙は大粒に変わった。翌日に広島を離れ、競泳の世界へ戻った。

 小学6年の卒業文集。将来の夢を○で隠しながらも、下の段に「20才か24才のわたしへのメッセージ」と記した。それは08年北京、12年ロンドン五輪に向かう「わたし」へのエールだった。実際に08年北京大会は7位入賞した。だが、12年ロンドン大会は代表から落選した。受けたダメージは大きく、文集に記したように「夢がかなえれなかったら、まあ、しょうがないさ。次をがんばればいいさ」とはいかなかった。

 結婚式の翌14年はパンパシフィック選手権で銀メダル。8歳年下の渡部香生子に僅差で敗れた。実力はあるが、勝利意欲が低いのが金藤の性格。再び引退の意思を両親に伝えた。それでも今度は高校時代の親友に救われた。12月、旅行先の宮島で「(競泳を)続けてほしいんよ」と本音で訴えられ、「もう1年やる」と決めた。翌15年も世界選手権で6位。心配する周囲をよそに、今度は「このままじゃ悔いが残る」と自分でリオまでの完全燃焼を決めた。加藤コーチは言った。「だから、安心して(1日)2万メートル泳がせたんです」。

 猛練習に打ち込んだ16年の「わたし」は強かった。2月に自身の日本記録を7年ぶりに更新した。4月の日本選手権で同記録を再び塗り替え、五輪切符をつかんだ。「よくがんばった。えらいえらい!」。15年前の「わたし」が、ねぎらいの時を待っている。【松本航】

 ◆金藤理絵(かねとう・りえ)1988年(昭63)9月8日、広島・庄原市生まれ。三次高3年で総体優勝。東海大に進み08年北京五輪女子200メートル平泳ぎで7位入賞。12年ロンドン五輪は出場権を逃す。13年世界選手権4位、15年同6位。今年2月の3カ国対抗戦女子200メートル平泳ぎで、7年ぶりに自らの日本記録を更新。同記録を再更新した日本選手権(4月)の2分19秒65は、今季世界ランク1位。175センチ、64キロ。