杉村英孝(39=伊豆介護センター)がボッチャ個人で日本勢史上初メダルとなる金メダルを獲得した。BC2(脳性まひ)の決勝で、16年リオデジャネイロ大会で個人、団体ともに金メダルのウォンサ・ワッチャラポン(タイ)に5-0で勝利した。ボッチャがさかんなタイで国民的英雄と言われる相手に対し、大舞台でも冷静な頭脳戦を繰り広げた。

3大会連続で出場。前回の16年リオ大会団体戦では司令塔として、初のメダルとなる銀メダルに貢献した。今大会は「団体は銀以上の色のメダル。個人としてもメダル圏内に加わりたい」と、初の個人メダル獲得も目標に掲げていた。

今大会の個人1次リーグは3戦全勝で突破。8月31日の準決勝では、12年ロンドン大会覇者のマシエル・サントス(ブラジル)との対決を接戦の末に制し、決勝に進んだ。

新型コロナウイルス感染拡大の影響を大きく受けた。先天性の脳性まひで手足が不自由で、日常生活はサポートを必要とするため、コロナ禍で移動も制限された。19年12月から7月の日本代表の壮行試合までの約2年半、実戦の場がなかった。壮行試合で「バス移動とか一連の流れがすべてが懐かしい。新鮮に感じた」と話すほど、試合機会がなかった。

「火の玉ジャパン」日本チーム主将も務める。活躍には、ボッチャ界の将来への思いも込められている。「自分としては、障がい者がすごいプレーをしているとあまり見てもらいたくなくて。1人のアスリートとして、すごいなって感じてもらえたら。未来の『火ノ玉』選手の活躍につながるようなきっかけになれば」。日本のボッチャ界の将来にとっても最高の結果を出した。【近藤由美子】

 

◆杉村英孝(すぎむら・ひでたか)1982年(昭57)3月1日、静岡県伊豆市生まれ。先天性の脳性まひのため両手足が不自由で、特別支援学校の高等部3年生の時、先生が見せたビデオでボッチャと出会う。01年に競技を開始。得意技は持ち玉を密集する球に乗り上げさせて白い目標球のジャックボールに接触させる「スギムライジング」。趣味もボッチャ。ニックネームは「すぎちゃん」。