パラ水泳のエース、木村敬一(30=東京ガス)が、悲願の金メダルに1歩近づいた。

男子100メートル平泳ぎ(視覚障害SB11)で1分11秒78の好タイムを出し2位。200メートル個人メドレーは5位だっただけに、今大会初メダルに「3番に入りたいと思っていたので、ホッとした」と話した。

12年ロンドン、16年リオデジャネイロと2大会で6個のメダルを獲得。この日と合わせて7個のメダルを手にしているが、金メダルはまだない。「東京大会は金をとるために出る。その目標がなければ、出ないですよ」とまで話す。最大のターゲットは世界記録を持つ3日の100メートルバタフライ。この日の銀メダルは、そのためのステップだ。

「絶対に金メダル」と言いながらも、木村は「金色って言っても、分からないんですけどね」と笑う。2歳の時に視力を失い、物を見た記憶はない。障がいには先天性と中途障がいがある。視力の場合は大きな違いがある。特に、スポーツをする場合は先天性は不利になることが少なくない。

この日の決勝でも、木村以外の7人は中途。金のドルスマン(オランダ)は18歳、世界記録を持つ銅の楊博尊(中国)は19歳で視力を失った。見えた時から水泳選手。光が分かる選手も多い中、木村は真っ暗闇の中にいる。競い合うだけでも奇跡といえる。

17年からS11クラスのライバル富田は、高校時代まで健常者として水泳で活躍していた。「パラ水泳界屈指の美しいフォーム」と言われるのは、そのためだ。ところが、木村はどこかぎこちない。頭の中に参考にする画が描けないからだ。だからこそ、富田のリスペクトの思いは強い。「キムは最初から見えなのに、あの泳ぎはすごい」と話す。

16年リオ大会、本命の100メートルバタフライで銀に終わり、木村はプールサイドで号泣した。17年末に渡米を決意。多くのパラリンピアンを育てた米ボルティモアのブライアン・レフリー氏に指導を仰いだ。「日本人だし、英語も話せんし、目も見えないし。チームメートは何だこいつは、と思ったでしょうね」と笑うが、持ち前の明るさでロヨラ大チームに溶け込んだ。

新型コロナ禍で帰国を余儀なくされてからは、日本で練習。メニューをメールでもらい「分かったつもりの、いいかげんな英語」で指示を仰いだ。その集大成が今大会。想定通りの2レースを振り返り「何も変わったことはしていないですね。オレンジジュースをリンゴに変えただけ」。一呼吸おいて「うそやけど」。人を食った物言いは相変わらず。その笑顔が、自信の証しでもある。【荻島弘一】

◆木村敬一(きむら・けいいち)1990年(平2)9月11日、滋賀県栗東市生まれ。先天性疾患による網膜剥離で、2歳の時に全盲になった。10歳の時に水泳を始め、筑波大付視覚特別支援学校-日大。パラリンピックは08年北京大会に初出場。12年ロンドンでメダル2個獲得後、日大教授で元世界選手権代表の野口智博コーチに師事して金メダルを目指すが、16年リオ大会は銀2、銅2。17年末に米国に渡った。東京ガス所属。171センチ、68キロ。