道下美里(44=三井住友海上)を女子マラソンの金メダルに導いたのは、2人のガイドランナーだった。30キロ過ぎ、後半担当の志田淳(48)は、給水所のパウトワの動きを見逃さなかった。チャンスを見るや「いけるか?」。道下が「いける!」と即答すると、すぐにギアを入れた。

「1500メートルにも出ていたので、スタミナはないと思っていた。チャンスがあれば出ようと思っていました」と振り返る。「いきなり英語になったんですよ」と道下に言われて、答えを披露。「10メートル、20メートルと離した差を相手に聞こえるように英語で言いました。いやらしいですけど」。目が見えない相手の耳に、ネガティブな情報を入れた。

「3パターンの戦略を練っていました」と志田は明かした。前半はペースをしっかり守り、後半に勝負をかける。レース展開に応じてスパートのタイミングは考えてあった。「思ったよりも早いタイミングだったけれど、あの『いける』の答えで、勝負が決まった」と説明した。

前半20キロを伴走した青山由佳(35)は、相模原市役所職員の公務員ランナー。16年リオデジャネイロ大会も前半をガイドし、道下とともに銀メダルのリベンジに燃えていた。「ホッとしました」と言えば、道下も「青山さんがしっかりとペースを守ってくれた」と感謝した。

ガイドランナーは「一緒に戦う競技者」だ。一方的な「支援」ではない。コーチとともにレースプランを立て、それを実行する。メダルこそないが「メダリスト」だ。レース後は3人並んで会見。「大会の意義は?」という質問に、道下は「それは志田さんが」とむちゃぶり。「障がいを持った人と健常者が一緒に輝けるということを、理解いただけたのではないかと思います」。パラリンピックを締めくくるにふさわしい志田の言葉だった。【荻島弘一】

◆志田淳(しだ・じゅん)1973年(昭48)6月16日、東京都生まれ。東海大で箱根駅伝3度出場。卒業後はNECに入社。00年世界ハーフマラソン選手権で日本代表。マラソンの自己記録は2時間18分43秒。

◆青山由佳(あおやま・ゆか)1986年(昭61)神奈川県相模原市生まれ。中学時代に陸上を始め、東海大相模高-東海大。現在は相模原市役所に勤務しながら公務員ランナーとして活躍する。